チェロ協奏曲第2番 ト短調 作品126

ロジェストヴェンスキー指揮/ロンドン交響楽団

ロストロポーヴィチ(Vc)

1967.02.26/Live Intaglio

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「度肝を抜かれる」という体験は、このディスクで得られるであろう。まさにその言葉が相応しい。圧倒的な演奏。ロジェストヴェンスキーのライブらしい激しいアクションとドラマチックな構成は圧巻だが、同時に思わずゾッとしてしまうような重い響きと美しさは、ある種の恐怖を感じさせる。このゾッとするような響きは、ロジェヴェンには付きまとう。その正体はよくわからない。ただ、夜、寝る前に聴こうものなら、怖くてつい布団を被ってしまうような感覚は、素直なところであろう。チェロは同じ年のオイストラフとの演奏も素晴らしいが、伴奏はこのディスクが強烈で印象深い。今にも壊れてしまいそうな張り詰めた緊張感がスゴイ。Vc協2番の作曲は66年で、交響曲で言えば13番の後、14、15番の前。例えば1楽章の中盤より後ろで現れる大太鼓の強打。築き上げてきた音楽やドラマを破壊せんとする抵抗不可能な力だが、これは14番の11楽章ラスト、あるいは15番1楽章の中盤に登場する大太鼓と共通する表現じゃないか。この「破壊の力」は理不尽に音楽を蹂躙するわけだが、この演奏を聴くと、もう本当に打ちのめされる。2楽章はグロテスク極まりないし、この演奏の中にはカオスを通り超えた原理的なものが存在していると思えてくる。音程が悪いわけではないが、いや、微妙に溶け合わない伴奏がこれまためいがする。ロジェヴェンのまるでバトル漫画のような唸り声も聴くことができるが、もはや、この録音においてロジェヴェンの唸り声は演奏の一部と化している。あまりにこの録音が好きすぎて、他の録音を聴いたときに「あれ?『声』パートが落ちている」などと感じてしまうから重症だ。3楽章に時折訪れる美しい旋律の断片は、天使のような響き…、なのか!?もう聴いているほうもここまで来ると疲れがピークなのだ。しかも曲はその後、ますますヴォルテージを上げていくわけでしょう。これはもう、戦いだ。ロジェヴェンと、ロストロに対する。我々は、決して途中で戦いを放棄してはならない。最後まで聴き切って「ブラボー!」と言いたいじゃないか。ティンパニと木琴の波状攻撃に、ムチがビシバシと鳴り、サイキックなダメージを受けても、それに耐え続けていると、最後のほうで徐々に安心感のある音になってきて、温かみが生まれてくるのである。そして、小物打楽器による「時の刻み」…。音盤蒐集をする者の一人として、当盤を手元に置くことができたことは、とても幸せなことだと思う。

スヴェトラーノフ指揮/ソビエト国立交響楽団

ロストロポーヴィチ(Vc)

1966.09.25/Live Warner

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初演ライブの録音。世界に解き放たれたショスタコーヴィチのVc協2番の初の演奏であり、その入念に準備されたソリストとオーケストラの充実度と燃焼度が感動的な一枚(いや、もう、会場の咳も貴重だよ!リアルだ!という気にさえなってくる)。ショスタコーヴィチは、ホールのどこでこの演奏を聴いたのだろうか。同曲においては好みもあろうが、ロジェヴェンかスヴェトラか、といった当時の録音にまずは触れたい。このスヴェトラ盤は素晴らしい臨場感で、まるで当時の演奏を疑似体験するような一体感で聴くことができる。ホールに響くスネアやタンバリン、ムチの音色に涙するほど(もちろん木琴もトム・トムもウッド・ブロックも。それにしてもショスタコーヴィチ後期の打楽器の傾向性が大好きなのである)。スネアのここぞいうグサッとくる音色は大好きだ。存在感のあるムチも素晴らしい。ある種の懐かしさを感じられる。記憶の中に残されているサウンド感と言うような。スヴェトラーノフの世界観の作り方、ドラマツルギーとでも言うべきか。どこか温かい、心の奥底をポッポと火を点けてくれるのはスヴェトラーノフならではかと思う。テンポは食い気味で心地良く、ガツガツと前のめり。音色は重厚だが音楽は推進力がある。当盤は「世紀のチェリスト ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ ワーナー録音全集」(40枚!?)からの分売で、リマスタによって66年当時モノとしては素晴らしい状態。細部まで輪郭がはっきりしており、弦の軋みから皮膜打楽器の打撃音まで、奥深く聴こえてくる。

オイストラフ指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

ロストロポーヴィチ(Vc)

1967.11.12/Live Yedang

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イェダンからのチェロ協奏曲集。レヴェレーションから出ていたチェロ協奏曲集と同じラインナップ(1番、2番、チョールヌイの詩による五つの風刺)で、一見、同音盤と思えるが、レヴェレーションはプラハ同様に怪しげなレーベルであることを忘れてはならない。ロストロポーヴィチとは訴訟問題もあったとかで、レヴェレーション盤はショスタコーヴィチのVc協2番1967年11月12日ライブと書かれているにもかかわらず別の作曲家による曲(私は知らない曲だが、独奏チェロも打楽器も格好良いのでぜひ詳細を知りたいところ)。というわけで、当イェダン盤が同じステータスでの本来の演奏であったと思われる。不思議な感動を覚えたものだ。イェダンがアジア圏での旧ソ連系の録音をバンバン出してくれた頃は嬉々として集めたものだが、録音データ等が正確かどうかはわからない。演奏については、それはもう素晴らしいもので、ロストロポーヴィチの荒々しくも艶やかな独奏は言わずもがな、オーケストラも格好良い。録音は良いとは言えないが十分に聴けるものであり、打楽器の主張するモスクワ・フィルのサウンドを堪能できる。ティンパニの音色がガシガシと前に届いてくるのも嬉しい。スネアや木琴がザクザクと打ち込んでコントラ・ファゴットがブリブリ鳴っていると、もうショスタコーヴィチの世界だね!それにしても、オイストラフ、ロストロポーヴィチ、と名前が並ぶと、誰が振って誰が弾いているのよ、あれ、この曲は何だっけ?と混乱する。しかしこのラストのチクタク音を聴いていると、オイストラフとロストロポーヴィチという、ショスタコーヴィチの二人の親友が再現する音楽は、やはりその深みが違うなぁ、と感動してしまうのである。

ラシライネン指揮/ノルウェー放送管弦楽団

ノラス(Vc)

1997 Finlandia

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素晴らしいクオリティの演奏。ソ連系の演奏ではないが、全体を通して熱意にあふれた快演。そして何と美しいことか。打楽器も良い。この曲においてかなり重要な役割を持つ、多数の打楽器群。ショスタコーヴィチ特有の編成である。オケは室内編成なのに、打楽器は特殊なものまで含めて多数。こういうスタイルは協奏曲だけではない。最も顕著なのが交響曲第14番であろうが、通常のオケ全体のバランスを崩しつつも、そこが面白い。このVc協2番でも、多分にバランス崩しに入る。ことに、独奏チェロのカデンツァの部分に打楽器がここぞとばかりに乱れ打つのは面白い。ノルウェー放送管は、決して爆裂するわけではないのだが、それでも重く響く音と的確な音量をもって見事に叩き入れる。併録の同1番も素晴らしい演奏。ロジェヴェン、スヴェトラ、オイストラフといった同時代のソ連系の演奏がどうしたって気になるものだが、この北欧の演奏の濃密な響きにも圧倒される。それにしても、クラシックCDは廉価盤にも名演が多数存在する。これはまさにそんな一枚。2枚組で、Vc協二つと、Pf協1番、チェロ・ソナタ、弦楽四重奏曲第3番が入って1,000円未満といったような販売価格なのである。

スラドコフスキー指揮/タタールスタン国立交響楽団

ラム(Vc)

2016 Melodiya

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スラドコフスキーの協奏曲全集から。実にしっかりとした演奏と録音。当時ソビエト勢の獰猛な響きはないものの、どこか枯れたような飢餓感のある貪欲なエネルギーは、現代のメロディヤ録音に期待するとおりのものである。スラドコフスキーの協奏曲全集は若手ソリストを起用した意欲的なディスクであり、こうした試みは個人的には大好きである。どっしりとした伴奏に支えられた演奏。独奏と同様に重要な打楽器も素晴らしく、乾いた響きと着実なテンポ感でバランス良く聴かせてくれる。