交響曲第5番 ニ短調 作品47

交響曲第5番は、ショスタコーヴィチの他の曲と比べて圧倒的に録音数が多く全てを追い切れていないため、厳選してオススメ度の高いディスクを、指揮者別に紹介しています。

ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の録音を紹介する。ムラヴィンスキーの5番のレビューは、このようにしてまとめるのが最適であろうと思うからだ。2020年時点で聴くことのできるディスクはここに挙げる13種。リハーサル音源や映像のみの音源は除いている。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

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1984.04.04/Live Victor

ムラヴィンスキー最晩年、レニングラード・フィルハーモニー大ホールでのライブ録音。天羽氏のリストによると、その後は1984年9月16日にドイツのデュースブルク、1986年2月25日に祖国レニングラードで5番の演奏が行われているが、現在、聴くことのできるムラヴィンスキー最後の5番。同年同月の12番の録音と並び、ファンには必聴のディスクである。さて、80年代とあって、他と比べると録音状態が良い。細部までクリアに聴こえるし、打楽器も音が届いてくる。ティンパニの音色に関してはこの盤が好きだ。ムラヴィンスキーの辿り着いたところであり、非常に充実している。84年、作曲者はすでにこの世になく、ソビエトも崩壊に向かっている。ムラヴィンスキーは、ショスタコーヴィチの魂の継承者として妥協のない厳しいソビエト音楽を聴かせている。時代に流されることのない普遍的な交響曲である。それゆえに、感動的である。3楽章の慟哭での共感、それを受けての4楽章は、まるで天上に響くかのように高潔で純粋だ。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1982.11.18/Live Dreamlife

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ムラヴィンスキーの5番の録音は多数あるが、それらを代表して当盤を最もお薦めしたい。最も古いと思われる1938年3月27日の録音を聴いても、後年の解釈と一貫したものがあり、ムラヴィンスキーにとっての5番の輪郭は早くに確立していたことがわかる。そのため、いずれがCDとしてベストかという議論は、ほとんど録音状態で判断することになる。そうなれば、アルトゥスの1973年5月26日の東京ライブ盤が最良であろうし、70年代以降の録音はいずれも素晴らしい。84年盤も間違いなく名盤であろう。さて、2004年6月にスコラから初出の当録音がリリースされた。こうしたムラヴィンスキーの眠っていた録音が発表され、しかもそれがショスタコーヴィチの5番とは、なんと幸せなことだろう。しかも、その演奏内容がまたとてつもなく素晴らしいのである。ざらざらした録音だが、それは少しもこの演奏の質を下げることにはなっていない。むしろ、この音色こそムラヴィンスキー、と思えるほどである。しかしながらピッチや左右の入れ違いの問題もあったところ、2007年にドリームライフからリマスタされた高音質の当盤がリリース。ムラヴィンスキーの5番の中で私の最も愛聴する一枚である。1楽章、最初の一音でこの曲に対する指揮者のシリアスさが伝わってくる。張り詰めた緊張感ある音色。しかし、脅えたような恐々した細い音色ではなく、冬のソビエトの冷たい空気をイメージさせる、切れそうなほど美しい音色なのである。練習番号17でピアノが入ってきた辺りから、壮大なドラマが動き出す。27のポコ・ソステヌートからの速めの進撃は、70年代と変わらぬ攻撃的なスタイル(84年盤では幾分テンポが落とされ落ち着いた感じになる)。東京ライブ盤のような、突如襲来する独立した狂気ではなく、あくまでこれまでの流れとの調和を感じさせるものである。消え入る1楽章ラストに、聴いている我々までもが何か超絶的な体験をしているような気持ちになるが、テクニカルな2楽章でまたハッとさせられる。2楽章は、ムラヴィンスキーの中でも断トツに勢いがある名演。各ソロもガシガシと全身で演奏する姿が想像される。打楽器も好演で、スネアはよく鳴っているし、細かいところでは、73のティンパニ・ソロの下のFが理想的な音色で思わず鳥肌が立つ。3楽章にかけて、果たしてムラヴィンスキーに挑戦できる者はあるだろうか。ショスタコーヴィチ演奏に、そのソビエト体制下の歴史的背景を見ようとするのはもはや古いと言われているようだが、大いに感じたいと思う。ショスタコーヴィチが生きたソビエトの空気を。そして、そこから生まれる音楽が、普遍的な感動を呼ぶ。ムラヴィンスキーという同時代の理解者が作り上げる音楽に、そうしたソビエトらしさが入っていないはずがない。ムラヴィンスキーの目指すものは、神への音楽なのかもしれない。しかし、ソビエトの歴史なくしてショスタコーヴィチもムラヴィンスキーも今日での評価はありえなかったのだ。そうしたソビエトの亡霊を背負って、最終的に純粋な、普遍的な音楽に昇華させることこそ、ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチである。3楽章ラストは、それこそ全身が打ち震えるような感動に見舞われる。ラスト6小節、この音楽に出会えてよかったと感謝することになる。そして4楽章。ムラヴィンスキーの録音の中で、最も鋭く、痛いと感じるのは、こうして3楽章まで聴いたあとに突入する4楽章の印象である。最初からかなり速めのテンポを取るように解釈は変化している。ティンパニのソロの勢いは、ムラヴィンスキーの録音中最強だ。楔を打ち込むような金管のアクセント、超絶技巧を披露する凄まじい弦楽器の弾き込み。ライブゆえに瑕もあり、特に、128の大太鼓が盛大に間違える。ふむ、完璧を追求した男ムラヴィンスキーであるが神は完璧を許さないのだ。妙に人間臭さをムラヴィンスキーとレニングラード・フィルに感じてしまう。さておき、演奏は終盤でますます盛り上がりを見せ、この演奏の「痛さ」は、やはり最後にきちんとわかりやすいかたちで提示される。決して歓喜ではない重く苦しいフィナーレである。とどめのような(そして先程のミスからか気合い十分の)大太鼓とティンパニの激しい打撃音がグサグサと突き刺さって、終焉を迎える。最もお気に入りのムラヴィンスキーの5番である。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1978.06.12/Live Altus

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ウィーン・ムジークフェラインザールでのライブ録音。選集盤に収録された録音と同じで、長らくムラヴィンスキーの5番と言えばこの78年盤か84年盤という印象であったが、70年代にしてはとりわけ録音が悪く、わんわんと長い残響がショスタコーヴィチらしい切れ味のある曲想の魅力を削ぐようで、好みではなかった。いくつかの同音異盤を聴いても満足できるものはなく、この録音の真価に触れることはできなかった。しかしついに我らがアルトゥスがリマスタを施し、CDとしての価値を格段に向上させてくれた。これまで聴けなかった音像がはっきりとし、同じ演奏でこうも違うかという衝撃と共に、この名演を聴くことの喜びを味わうことができる。このライブが、当時のウィーンに住む人々にどのように受け止められたのだろう。ムジークフェラインザールは映像でしか見たことがないが、あの有名な舞台に狭しと並んだレニングラード・フィルの楽団員の姿を想像するとわくわくする(ショスタコーヴィチを演奏するにはあまりに狭いホールだと思う)。凄まじいパワーに驚いたに違いない。全体を通して、やはり凛とした堂々たる演奏。分厚い響きは魅力的だ。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1973.06.29/Live Russian Disc

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均整のとれた名演。録音日の近い来日盤と比較すると、1楽章のテンポ設定がかなりゆっくりになっている。来日盤の鬼気迫るような迫力は感じられないが、録音状態が来日盤より劣るため、細部の動きやマイクに遠い音が拾えていないゆえかもしれない。全楽章通して異様なまでの骨太なパワーがあり、どっしりと力強く構えている。安定感もあり、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの演奏技術を改めて思い知らされることになる。ムラヴィンスキーの5番にはだいぶ独特なものがあり、あまり語られないがやはり1楽章の銅鑼は特筆すべきものであろう。この盤では、銅鑼ロールがかなりはっきりと持続している。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1973.05.26/Live Altus

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ムラヴィンスキーの5番の中から一枚を選べと言われれば、断然に薦めたいのはこの東京ライブ盤である。個人的には、84年盤をメインとして、長らく選集盤の78年ウィーンライブや54年盤、苦労して入手したロシアン・ディスクなどを聴きながら、「なんだかスゴイ演奏が記録されているのだろう」とヒストリカルな音源に対し、CDとして家の中で楽しむには自身の想像力を足さねばならない状態だったところ、このディスクの登場であった。1973年、東京文化会館でのライブ録音であり、NHKで当時放送されたものとのこと。我が国の技術にも誇りを感じるし、純粋に嬉しい。東京文化会館はバーンスタインも名ライブがあるし、東京にサントリーやトリフォニーといった最高峰のホールがない時代、上野や日比谷で世界的な名演があったのかと思うと感慨深い。さて、ロジェストヴェンスキーやテミルカーノフといった当時のソ連の指揮者の演奏と比べると、大人しい印象もあるかもしれない。まるで親の仇のように打ち鳴らす両者の打楽器や金管表現とは異なる。しかし、5番の演出上の見かけに騙されてはならない。勢いのある華やかな演奏が聴きたければバーンスタインを聴けばいい。爆音の洪水を味わいたければテミルカーノフを聴けばいいのだ。ムラヴィンスキーはこの曲の最大の理解者であったと私は信じている。他の指揮者とは明らかに違う響きを持っている。とてつもなく暗く深い。1楽章の鬼気迫る演奏、あれは一体何が起こったというのか。調子っ外れの突撃ラッパはショスタコーヴィチの十八番だが、ムラヴィンスキーはひたすら真面目。暗くて、重い音がずっしりと響き渡る。何と深淵な演奏であることか。この曲は、ショスタコーヴィチが当局に迎合して書いた曲なのか、否、名曲と謳われるからには、やはりそれが器楽的に優れているからだ。そして芸術的な深みがあるからだ。ムラヴィンスキーの演奏は、まさにそうした芸術の塊である。かの『証言』でムラヴィンスキーがこの曲を理解していないとの有名な言及があるが、それが一時の感情的な言葉なのか、まったくのでまかせなのか、とにかくそれが否定されるべきであるということが、この演奏をもって証明される。この演奏の終楽章に、どこに「歓喜」が見出されるというのか。強制された何某とか、多々解釈はあるだろうが、そんなものが吹き飛んでしまうかのような圧倒的説得力を持つ演奏である。この暗くて冷たい響きはどこから生まれてくるのか。スネアが非常に重要なパートであるが、感動する。また、銅鑼のロールもムラヴィンスキー独特の表現で「よくやってくれた!」という感じ。2楽章の諧謔性、3楽章の息も詰まりそうな張り詰めた緊張感、どれをとっても申し分ない。いわゆる「苦しみの涙にあふれ」というところ、泣くのをずっと我慢していたが、ついにぶわっと泣き出してしまう、そんな演奏である。というわけで、ファンならずとも必聴必携の一枚。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

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1973.05.03 Altus

CDをプレーヤーに掛けて最初の一音で圧倒されてしまうムラヴィンスキーの世界観。アルトゥスが複数のリハーサル録音を含めた魅力的なボックスを出してくれたが、後に分売でリリース。リハ音源は、わざわざ練習中のものをどうこう言うのも無粋であり、あくまでヒストリーの一場面。当盤は、珍しいスタジオ(セッション)録音。あちこちに瑕のある演奏なので、例えば同時期の東京ライブの録音に比べると、CDとしてスタジオ録音のアドバンテージには欠ける。無観客ライブのような印象だ。とは言え、1楽章の充実度や、2楽章のゆとりをもった爆発的な演奏など、魅力には事欠かない。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

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1967.05.26/Live Arkadia

ジャケット表記によれば、1968年プラハ音楽祭とある。しかし、天羽氏のリストによると1968年にプラハでのライブはない。そして、プラハ盤(コシュラー9番と併録の)ムラヴィンスキー5番は1967年5月26日のライブとあるが、これは聴いてみれば78年ウィーンのライブと同じであることがわかる。天羽氏のリストに頼れば、この日にムラヴィンスキーがプラハでライブを行っているので、では、この1967年5月26日ライブの録音はどこに行ってしまったのかということだが、工藤さんのWEBサイトや1973年5月3日アルトゥス盤の平林氏のライナーを参照すれば、このアルカディア盤がそれであるとわかる。現在のところ、このアルカディア盤(前身ハント盤も含む)のみで他に異盤がない。このディスクは2枚組で、モーツァルト「フィガロの結婚」、ベートーヴェン3番、チャイコフスキー5番、ショスタコーヴィチ5番とグリンカ「ルスランとリュドミラ」が収められている。いずれも名演で、特にベートーヴェンの評価が高いと聞く。さて、当盤ショスタコーヴィチの5番は、録音状態は悪く、響きや奥行きはかなりデッド。しかしながら演奏は素晴らしくて、このデッドな録音がむしろ格好良いと思ってしまうような内容。ムラヴィンスキーの5番で、良くも悪くもこうした品質の録音は他にはない。13種のムラヴィンスキーの中でもだいぶスネアが主張している。録音の質を考えれば一番に手に取るディスクではないものの、60年代後半のムラヴィンスキーの表現を聴くことのできる貴重な録音である。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

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1966/Live Russian Disc

66年の録音にしてはかなりクリアな音色で、レニングラード・フィルの美しく凶暴な響きをしっかりと聴くことができる。ムラヴィンスキーの数ある5番の中では、最も攻撃的な演奏。そして速い。お気に入りの一枚である。2楽章の異様な盛り上がりには、耳を奪われる。聴衆に媚びるような演奏を一切行わなかったというが、このディスクを聴けばそんなものは全く必要ないことがわかる。聴衆を盛り上げようと、アクセントやフォルテシモをバリバリ効かせたような扇情的な演奏は、ムラヴィンスキーには必要ない。ムラヴィンスキーの心の中に眠っている音楽を、レニングラード・フィルが忠実に再現しようとしたとき、何より素晴らしい音楽が響き出すからだ。2楽章、4楽章の激しい怒涛の勢いも、そうした指揮者の魂の表れだ。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

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1965.11.24/Live Russian Disc

録音の荒さはあるが、堂々たる迫力ある演奏。1965年の録音だが、終楽章の破竹の勢いは既に完成しており、鳥肌ものの猛進ぶりを聴かせる。レニングラード・フィルの直線的な音色の特徴がよく現れていて、ざらざらした録音と相まっていかにもソビエトといった音をスピーカーからしぼり出してくる。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

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1961.06.02/Live Altus

アルトゥスから初出の61年ベルゲン音楽祭ライブの録音。60年代の録音は4種聴くことができるが、総合的に当盤をお薦めしたい。アルトゥスの音質の良さが第一にある。これは素晴らしい。ムラヴィンスキーの60年代の録音をこのように聴くことができるのは幸せである。66年のロシアン・ディスク盤に顕著だが、凶暴かつ美麗なレニングラード・フィルのサウンドを、奥行きのある演奏で味わうことができる。65年、66年といずれも名盤であるが、この61年盤の粗削りなオーケストラの音色もまた深い感動がある。それにしても、一人の指揮者による同じ曲の録音を30年代から80年代まで追い掛けることができるというのもまた稀有なもので、ムラヴィンスキーとショスタコーヴィチならではだと思う。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1954.04.03 BMG/Melodiya

実にムラヴィンスキーらしい演奏で、曲全体の構成で言えば、後年の名盤と比べてそう大きな違いはない。終盤は重ったるい印象はあるけれど。録音状態を考えれば、後にムラヴィンスキーの演奏解釈をより明瞭に表したアルトゥスからの名盤やリマスタが多数あり、CDとして手に取るならば軍配が上がる。しかしながら歴史的な名盤として、我々の記憶に留めておきたい一枚である。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1938暮れ-1939初頭 BMG/Melodiya

ムラヴィンスキーの「メロディア未発表録音VOL.1」から。4枚組の非常に興味深いラインナップの録音だが、蒐集家や研究家向けのヒストリカル音源と言える。海外盤の存在を知らないが、一柳富美子先生の解説も勉強になるディスクで、ショスタコーヴィチとムラヴィンスキーの信頼関係、5番の構築にかかるルーツを紐解く重要な録音である。テンポが速めに設定されており、当時からムラヴィンスキーの作ろうとする5番の全体像がわかる。私が所有するドレミの1938年盤に比して録音状態(または再現状態)が良いことから、より深い音像を感じることができる。個人的にはかなり好きなテンポ設定で、ショスタコーヴィチ5番の原風景が見られる点でも非常に魅力的な内容。4楽章のカタルシスも比類ない。極端なことを言ってしまえば、ムラヴィンスキーの5番は、当1938-1939年盤、1973年東京ライブ盤、1984年盤を聴いてもらえればいいのではないかと思うぐらい。あとは「好み」だ!

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1938.03.27 Doremi/Melodiya

基本的な造形は既にでき上がっている。1938年である。自分が生まれる40年以上前の「音」を聴くことができるだけでも貴重である上に、ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ第5番の初演直後の録音だ。当然ながらムラヴィンスキーもショスタコーヴィチも生きていて、30代前半である。彼らが動き、生活をしていたレニングラードの街に思いを馳せる。今の世の中を予言できることはないだろうが、今も当時の音楽を「録音」というかたちで聴くことができるわけだから、やはり音盤とは素晴らしいと思う。拙稿は2020年6月、コロナ禍であるが、遥か昔の録音をこうしてCDで聴いているわけである。そして、オンラインやテレワークが進む現在、なぜ私は、CDデッキに、いちいちプラスチックのCDを傷付けないように丁寧に扱いながら入れ替えているのだろう、と思いつつも、こういうのがなかなか楽しい。

ロジェストヴェンスキー指揮/ソビエト国立文化省交響楽団

1984.10 MCA/Melodiya

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ロジェストヴェンスキー最大の魅力は、限界を超えるようなエネルギーであり、ドラマツルギー、演出、創造性の突出した音楽本来の「祭り」的な芸能性と言ってもいいだろう。原始的な音楽の成り立ちを感じる本能的な興奮がある。ロジェストヴェンスキー特有の、爆裂するオーケストラであるが(お上の文化省がこのようなオーケストラを抱えているのだから面白い国である)、この録音は、他のどんなクラシックCDでも聴けないであろうと思えるほどのボルテージである。想像を超える。いわゆるロシア、ソビエト系の「爆音」というのは評価としてどうかと思う場面もあるものの、それらの言葉でさえ足りないし、適切な言葉が思い浮かばない。1楽章、練習番号27のポコ・ソステヌートでのスネアとティンパニの理不尽な強打、4楽章冒頭の凶暴なティンパニのソロには、声を失うことになるだろう。そして強烈なラッパの進撃と共に、恐怖とも言える世界観が炸裂する。ロジェストヴェンスキーの魅力が、強烈な打楽器や金管であることには間違いないし、オケ全体も迫力満点の高い演奏効果を出している。しかし、何よりロジェヴェンの演奏には、刺すような鋭い痛みがある。この「痛み」こそ、ショスタコーヴィチの第5番の真髄である。これがまるで1対1の完全なる回答のように帰結するから、ロジェヴェンの演奏にはゾッとするような不気味な感動がある。なお、ロジェヴェンの交響曲は手元に多数あり、5番のこの録音(全集と同じ)についても、同音異盤の聴き比べをしつつ、私なりの好みであるが、メロディヤを原盤として、ビクター、BMG、オリンピア、MCA、ヴェネツィアと比較して、MCA盤を挙げておく。MCAはアメリカのレーベルとのことだが、怪しげな赤いデザインも当時ものとして面白い。当サイトではお気に入り順にディスクを並べているわけだが、私はムラヴィンスキーの82年盤がとても好きで、感動あふれる名演であり、これを超えるディスクに出会えるのかどうかはわからない。ベストを挙げよと言われれば間違いなくムラヴィンスキーなのだが、しかし気付けば、5番で最も繰り返し聴くのはこのロジェヴェン盤なのである。純粋に、「面白い」のだと思う。それを楽しめる。これが音楽の持つ芸能性なのか。

テミルカーノフ指揮/サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団

2012.03/Live Mirare

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時を経て2012年のライブ録音。既に巨匠となったテミルカーノフだが、5番の解釈にそう変化はなく、冒頭から圧倒的な音圧で聴かせてくれる。やはり1楽章が好き。さらに洗練されてマイルドで美しいサウンドになっている。テンポはやや遅くなっており、重厚で密度の高い充実した響きで、録音も良い。古くは1938年3月のムラヴィンスキーから、この2012年3月のテミルカーノフまで、74年にわたって、二人の男による一つのオーケストラのショスタコーヴィチ5番。5番と言えばこの二人の指揮者に特別な思いを抱くことが禁じ得ない。

テミルカーノフ指揮/サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団

2005.11.25/Live Warner

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英国バーミンガムでのライブ録音。スタジオ録音盤から10年後の演奏だが、解釈は既に確立されており、そのアプローチに大きな変化はない。オーケストラはより洗練されてソ連色は抜けており、美しい音色を奏でる一方、その凄みは健在であり、私は特に1楽章が好きだ。迷いのないストレートな進行は、既にテミルカーノフの一部となっているかのような5番のリアリティを感じさせる。2楽章の流麗な演奏も実にテミルカーノフらしく、既にムラヴィンスキーとの比較で論じることは古い。悲痛な3楽章ラストからアタッカする4楽章の感動は5番の醍醐味を伝えてくれる。

テミルカーノフ指揮/サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団

1995.09.21 RCA/BMG

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テミルカーノフがムラヴィンスキーの後継としてレニングラード・フィルの首席指揮者に就任したのは、1988年。団員投票によってオーケストラが自ら選んだ指揮者である。ムラヴィンスキーが同年1月に亡くなるまでまさに生涯を賭して鍛え上げたレニングラード・フィルを、テミルカーノフは団員の意思により引き継いだ。オーケストラだけでなくどのような組織でも言えることだが、圧倒的カリスマの二代目はどうしても先代と比較されることは宿命的に避けられない。ましてやムラヴィンスキーはソ連を代表する指揮者であり、ヨーロッパの伝統的オーケストラに比肩するオーケストラを国内で作り上げた天才である。50年にわたりたった一人の指揮者が支配したオーケストラが世界のどこにあるのだろうか。私自身も、ムラヴィンスキー亡きあと、ソ連崩壊によって名称を変えたサンクトペテルブルク・フィルの録音を素直に聴くことができなかった。まして、ムラヴィンスキーの十八番であるショスタコーヴィチの5番を、テミルカーノフで聴くことができるのか。それは、この1995年9月に2日間で録音されたディスクと真剣に向き合うことを長らく避けてきたが、私も十分に大人になって改めて聴いてみると、とてつもない感動を呼ぶものだったのである。録音が良く、サンクトペテルブルク・フィルのサウンドを素直に味わってみると、華麗で豊かな奥深い音色が聴こえてくる。そしてテミルカーノフのバランスの良いセンスとショスタコーヴィチの普遍的な音楽的美しさが見事に合っており、ムラヴィンスキーとは異なる魅力に気付くことができる。とは言え、上記ライブ盤のようなとんでもない爆演をやってのけるテミルカーノフであるから、95年のこの時代、まだオケの燃焼度はソ連寄りのアクの強さを時折聴かせる。これがまた魅力的で、ジャケットのライトアップされた伝統的なロシア建築と河の都市イメージと、白蝶でニヤリと微笑むテミルカーノフの姿が美しい。ショスタコーヴィチ5番の演奏史に新たな1ページを刻んだ名演であり、必聴必携のディスクである。

テミルカーノフ指揮/ソビエト国立交響楽団

1981.06.14/Live Brilliant

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単に「爆演」という言葉では片付けられない異様なまでの緊張感、神経が磨り減るような発狂寸前ボルテージである。テミルカーノフの超強烈ライブ。テミルカーノフの魅力はライブにあると思う。ムラヴィンスキーとロジェストヴェンスキーが融合したような、と言えば少し表現が近寄るかもしれない。徐々に増していく充実度は4楽章でマックスに到達し、もはや人間業とは思えない超高速でのアンサンブルに卒倒する。スヴェトラーノフのときもそうだが、ソビエト国立響は無敵の鋼鉄軍団だ。1楽章から聴いていくと、練習番号17までの冷たい空気は、まさにムラヴィンスキーを髣髴とさせるものだし、しかもその中にテミルカライブ特有のどこか危うげな爆発力というか底力を感じる。18でラッパが入ってきたときに、この演奏は本物だと確信する。これだ!この音色こそソビエト!ショスタコ!万人が期待する音色だ!テンポを指定どおりに上げていき、そのままの勢いを落とすことなく、かなり速いテンポのまま19に突入。ムラヴィンスキーよりも速いかもしれない。しかも、この緊張感と集中力、カタルシスにも似た感動は、ムラヴィンスキーの73年東京ライブに匹敵するか、もしくはそれさえ凌駕する。その後のラルガメントも、ティンパニの強打はロジェヴェンを凌ぐ勢いだし、ユニゾンも超強烈。1楽章単体で聴けば、史上最強の推進力だ。興奮の余韻が残るままピュー・モッソ、モデラートを迎えるのが、冷めるどころかくすぶった炎が再び2楽章で炸裂する前兆のようにも思える。2楽章の歪なワルツで、ここまで強烈に悪ノリとも取れる炸裂ぶりを披露する指揮者がいただろうか。スネアの装飾部音符は、もはや飾りではない。激打ちアクセントの16分音符となって襲い掛かってくる。3楽章ではガシガシと弦が軋むような嘆きを聴かせる。感情のほとばしり、あるいは遠慮を知らないかコントロールが行き届かないのか、各楽器が鳴りに鳴ってバランスが崩壊するが、それもまた良い。木琴も、これでもかというぐらいに鳴る。ラストの静寂は、ムラヴィンスキーのような神がかり的なピアニシモに鳥肌が立つ。そして4楽章は全てのパワー(体力も精神力も)が開放された迫真の演奏。冒頭ティンパニの超強烈なソロに始まり、かなり速いテンポでオケ全体が突き進む。ここでのテンポ設定は各指揮者様々だが、大抵は一度にテンポを上げてしまってその後も突っ走るか、あるいは遅めに始めておいて楽譜どおりにだんだんとテンポを上げていくかのパターンにわかれるが、テミルカーノフは違う。高速で突入しながら、なおも律儀に指定を守り、なんと、そこからさらにテンポを上げていくのだ。参った。わずか3分で111(銅鑼が鳴ってティンパニが8部音符を連打するところ)に到達する。バーンスタインがあれだけ飛ばして、しかもコーダまで高速で演奏しておきながら4楽章演奏時間が10分11秒なのに対し、テミルカーノフはコーダでたっぷりと鳴らしながらも10分丁度で演奏しきっている。要所要所でミスは目立つし、4楽章のトランペットなんてまるで違う版でもあったのかというぐらい派手に間違えるところがあるが、そういうのはさておき、こんな演奏されたらもうしばらく放心状態だ。こんなライブを聴いたら熱を出す。それぐらい魂が込められた圧倒的名演。

バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック

1979.07.03-04/Live Sony

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1979年、東京文化会館でのライブ録音。バーンスタインの解釈は、ムラヴィンスキーとは対極と言っていいかもしれない。どのようにこの曲を解釈すべきか。よもや『証言』がショスタコーヴィチ自身によって語られたと信じる者は少ないだろうが、解釈は様々あると思われる。バーンスタインの解釈は、明快である。圧倒的なまでのスピード感で、全曲を駆け抜ける。そうしていながらも、いささかも軽くならないのがバーンスタインだ。ショスタコーヴィチの他の交響曲や、例えばマーラーを聴けば、バーンスタインのテンポ設定の遅さは独特の世界観を築いているが、ショスタコーヴィチの5番に関しては快速の解釈を貫いているようだ。この大迫力、大音響、そして感動は他に代えがたい。79年の東京ライブ。録音状態も素晴らしい。このディスクは入手は容易だし、どこへ行っても名盤と呼ばれる録音であるが、それだけの評判や大衆性を勝ち得たのは当然であろうと思う。同コンビの59年盤も秀逸だが、各楽器のバランスや録音の良さを考えると、こちらが断然上だろう。ショスタコ氏自身は、バーンスタインのライブを聴いて大絶賛したということだ。有無を言わさぬ説得力を持つ。演奏技術と細部の完成度の高さゆえであろう。4楽章の圧巻の速度と、ティンパニの強打がまずは魅力。私の友人のヴァイオリン弾きが面白い感想を述べていて、「これはソ連版『トップガン』である」という。アメリカ・オケの明るいサウンドとバーンスタインのはっきりした解釈がそう思わせるのだが、各楽器ともに大鳴りし、特に終楽章はかなり速いテンポで駆け抜ける。言われてみれば、戦闘機が大空を飛び交い凱旋する様子が目に浮かぶ。4楽章ラストのシンバルはサスペンデッドに置き換えられている。59年盤も同じく。このライブは、映像でも見ることができる。それによると、指揮者も団員も皆が白服。バーンスタインの曲理解が表れているのかはわからないが、説得力がある。映像では指揮者ばかりが映っていて、奏者(特に打楽器)にカメラが行かないのが残念だが、それでも当時の会場の雰囲気や、指揮者の表情を知ることができるだけでも必見。音だけで聴くのではわからなかった部分も見えてくる。3楽章で、「ドン!」と木質の打撃音が時折聞こえるのが気になっていたが、それはバーンスタインが勢いのあまり指揮台を踏み込む足音だった。3楽章、ピアノを「グー」で叩いている演奏も衝撃的だ。2023年時点で聴くことのできるプレス盤はここに挙げる6種。なお、ANF SOFT WAREによる「ライブ・クラシック・ベスト100」といういかにも安売りといったシリーズの一枚に、バーンスタイン指揮ウィーン・フィルによる1979年5月28日の録音とされているものがあるが、これは別人・別団体によるもの。

バーンスタイン指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1979.05.27/Live First Classic

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1979年のバーンスタインとウィーン・フィルの組み合わせには興味津々だが、同年のニューヨーク・フィルとの演奏に比べるとどうにも上品に過ぎる。基本的なアプローチは変わらず、ソロは良いし、固ゆでスパゲッティのようなサウンドの輪郭は悪くはない。しかしショスタコーヴィチに求めるものと、当時のバーンスタインに求めるものを考えれば、他にもっと素晴らしい録音はたくさんある。あくまでコレクター向けのディスクという評価の域を出ないと考える。4楽章コーダでは、練習番号133(スネアが超カッコイイffロールのところ)でティンパニが間違えて先に入っているが、あまりに堂々としたもので、これはこれで感心してしまう。

バーンスタイン指揮/フランス国立放送管弦楽団

1966.11.30/Live Altus

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INAの放送アーカイブからアルトゥスがマスタリングしたディスク。珍しくバーンスタインがフランスのオケを振ったパリのライブ。一貫してバーンスタインの解釈は変わらないが、ニューヨーク・フィルの鋭く切れ味のあるサウンドとは異なり、どこか柔らか。時に滑らかな推進力を聴かせるが、全体的にオケの技術的な粗は否めない。後ろに引かれるようなテンポ感のティンパニとスネアも気になる。1楽章練習番号36のラルガメントのティンパニなど、要所でオケの後ろから追い掛ける座りの悪さがある。とは言え、バーンスタインの音楽表現はやはり格別の魅力があり、客席ノイズや終演後の拍手も相俟ってリアリティあるライブの空気感を伝えてくれる。4楽章ラストはサスペンデッド・シンバルへの置き換えをしていない。

バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック

1959.10.20 Sony

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言わずと知れた59年の名盤である。SACD化もされているので、これから入手するならばSACDがよいだろう。バーンスタインの5番は長らくこの59年盤と79年盤が比較されつつファンに語られてきたように思うが、解釈に大きな変化はないものの、セッション録音の冷静さと曲そのものが持つ構造的な美しさが出ていると言えるだろう。1959年は、バーンスタインがニューヨーク・フィルを率いてモスクワとレニングラードで5番を演奏しており、終演後にショスタコーヴィチ自身が壇上に駆け寄って絶賛したという話と当時の写真は広く知られている(復刻盤やSACDではそのときの写真がジャケットに使われている)。そして帰国直後にボストンで収録されたのが当盤である。7番の評でも紹介させてもらったが、私が愛聴するのは、1995年、高校生の頃に町田のTaharaで購入した"The Golden Age of Leonard Bernstein"シリーズの2枚組。当時はチャイコフスキーの5番と「展覧会の絵」によって、初めてクラシック音楽の聴き比べの楽しさを知った頃だったが(とは言え、町田・相模大野の図書館とTSUTAYAのCDレンタルぐらい)、チャイコフスキーやムソルグスキーと同じロシア人の作曲家にショスタコーヴィチという人がいるらしい、しかも交響曲が3曲入って2,800円、よし聴いてみよう、という程度の興味で当盤をレジに持って行った記憶がある。

バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック

1959.08.16/Live Orfeo

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1959年のバーンスタインのヨーロッパ・ツアー中、ザルツブルク音楽祭にデビューしたときのライブ録音。作曲家同席のモスクワライブの直前に当たる。バーンスタインの交響曲第2番と同時に演奏され、ディスクにも収録。ボストンで録音された下記の名盤と同時期のもので、演奏の解釈に違いはない。モスクワライブも同様の演奏だったと思われるが、この速さには度肝を抜荒れたに違いない。モノラル録音で録音の質は高いとは言えないが、ニューヨーク・フィルの切れ味あるサウンドとライブの熱量は凄まじい。バーンスタインの唸り声を存分に味わうことができる。

バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック

1945.01.28/Live Symposium

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CD-Rの非正規盤のようなジャケットだが、プレスでありこれは正規盤ということでよいのか。ラジオのアナウンスがそのまま収録されており、米国歌、カーペンター「海流」、ショスタコーヴィチ5番、メンデルスゾーン3番抜粋、RCAビクター響とのガーシュウィン「パリのアメリカ人」が収められている。バーンスタイン初のショスタコ録音ということになるが、アプローチは1979年盤とさほど変わっておらず、例えばムラヴィンスキーと比べても驚くほどブレがなく一貫とした解釈であるということがわかる。録音状態はさすがに良くはないものの、バーンスタインのショスタコ演奏史として価値がある一枚と言えるだろう。なお、ライナーはジャケット裏見開きに英文だが、内容はあくまでバーンスタインとニューヨーク・フィルに関するものに留まり、当演奏やショスタコーヴィチについては一切触れられていない。

コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

1964 BMG/Melodiya

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コンドラシンらしい切れ味の鋭い5番であり、後世に語り継ぎたい一枚。64年のメロディヤの録音だが、密度の濃い充実した演奏をしっかりと聴かせてくれる。全体的にメリハリの効いた速めのテンポも、コンドラシンの演奏するショスタコーヴィチの世界観であろう。一方、4楽章などではコンドラシンにしてはやや大味な演出もあり、これ見よがしなアクセントなどが興味深い。交響曲は4,6,8,13辺りに圧倒的な名盤があるからか、あまり話題にならないコンドラシン唯一のこの5番の録音だが、実に素晴らしいのである。特に1楽章は理想的で、この音楽のドラマを存分に味わうことができる。1楽章の最初の一音から鳥肌が立つような演奏で、コンドラシンらしいスピード感で一気呵成に突入する練習番号27の感動と興奮は、なかなかこれを超えられるものはないだろう。全集を無人島に一つだけ持っていくなら、ロジェヴェンかコンドラシンか、ううむ、これは答えが出せないぞ。なお、多数の同音異盤のあるコンドラシン全集の中、私が愛聴しているのはBMGのもの。72ページに及ぶ解説と対訳歌詞(一柳富美子先生)は、ショスタコーヴィチの基本的な知識を得る最良のテキストだと思う。

N.ヤルヴィ指揮/日本フィルハーモニー交響楽団

2006.06.30/Live 日本フィルハーモニー交響楽団

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日フィル自主制作のライブ盤。録音はオクタヴィア・レコード、サントリーホール。素晴らしい録音。スコティッシュ管との名盤から約20年、大きく解釈が変わることなく、パキッとわかりやすいサウンドと明瞭なリズム、そしてスピード感。我々がヤルヴィに求める魅力が存分に詰まった一枚であり、これぞショスタコーヴィチのスコアが持つリズムとドライブを引き出す名演。素晴らしい。そして日フィルの技術力の高さは、ライブ録音であることをもってしてもまったくスコティッシュ管と同レベルで語ることのできるもので、数多あるショスタコーヴィチ5番の録音において突出するディスクなのだ。ヴァイオリンはじめ各ソロもとても丁寧で、日本オケらしい調和を感じるもの。打楽器はいずれも名演奏で、確かな技術に支えられ、ほしいところでほしい音が鳴る。スネアは装飾音符の乾き具合が良い。曖昧な響きに紛れさせることなく、しっかりと粒の立ったサウンド。銅鑼も素晴らしいのひと言。

N.ヤルヴィ指揮/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

1988.04.22 Chandos

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5番には多くの録音があるが、当時のソビエト勢、つまりムラヴィンスキー、ロジェストヴェンスキー、テミルカーノフ、コンドラシン、そして異彩を放つアメリカのバーンスタイン、これらでほとんど満足している。それでもあえてもう一枚挙げるとするならば、このディスクだ。爽快に全曲を駆け抜ける。この録音の素晴らしいのは4楽章。まず冒頭から驚かされる。ものすごいクレッシェンドなのだ。これほどのクレッシェンドを体感できる演奏はそうはないだろう。そして、「ボルト」の序曲のようにティンパニが(軽いけれど大きめの音量で)ドコドコと叩き、シャンドス録音ならではの長い残響を聴かせる。アッチェルはするものの、練習番号98は、ヤルヴィにしては比較的遅めのテンポ。しかし実はこれがスコアに忠実。忘れられているのか無視されているのか、スコアにはそこから段々とテンポが上がっていくように記されているのだ。ヤルヴィはそれを守っている。アレグロ(練習番号103)の頃にはすっかり速くなっている。また、特筆すべきはホルンを筆頭とする金管群。ロシア・オケとも、シカゴ響をはじめとするアメリカ・オケとも違う種類の強烈な咆哮を聴かせている。バーンスタインがソ連版『トップガン』なら、ヤルヴィはソ連版『ロッキー』か(ん?ドラコだな)。それにしても、ギラギラと鳴り響くトライアングルに感動する。トライアングルは素晴らしい楽器だなと思う。

M.ショスタコーヴィチ指揮/プラハ交響楽団

1996.11.13/Live Supraphon

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これは群を抜いて感動的である。それこそ世界中の技術力に満ちた有名オーケストラがこの曲を取り上げるわけだが、このプラハ響の演奏はやはり技量だけでは語れないものがあるのだと再認識せざるを得ない。なんと真面目で真剣な演奏であることか。特に1楽章が素晴らしい。この雰囲気は、もしかしたらアンサンブルの精度の低さがプラスに働いて、妙なカオスを作り出しているからなのかもしれない。どろどろしていたのが、時間がたつに連れて少しずつクリアーになっていく。1楽章だけでも作品として完結してしまうような(良い意味で)、ラストの感動は何だろう。これは3楽章にも通ずるのだが、単純に、ドラマチックに仕上げているからなのか。27のポコ・ソステヌートが速い。楽譜には4分音符126とあるから、多くの録音の印象よりは速めであるべきだが、それにしても格好良い。スネアが健闘しているのと、ラッパの現代的ではない音色が素敵だからか。テンポと言えば、終楽章のコーダが188なのか88なのか(あるいは94なのか)が問題になるが、こちらはかなり遅めのテンポをとっている。なお、終楽章頭の部分は速い。最後に打楽器について。3楽章で爆裂するティンパニが格好良すぎる。というか、マクシムは基本的には爆裂系の指揮者だと思うが、その爆裂の仕方が人と違う。「なぜここで!?」という…。

M.ショスタコーヴィチ指揮/ロンドン交響楽団

1990.01.04-06 Collins

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90年代初頭にマクシムがロンドン響とのコンビで録音したコリンズの一連の交響曲集(5,7,8,10,15番)から。残念ながらロンドン響との全集は叶わなかったが、この5番は当時録音の中でも代表的な一枚だろう。ロンドン響のキラキラしたクリアなサウンドが良い。やや重めのアプローチで整った演奏で、マクシムらしい強烈な個性は感じられないものの、終楽章の迫力などはさすがとしか言いようがない。

M.ショスタコーヴィチ指揮/ソビエト国立交響楽団

1970 RCA/BMG

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マクシムのソ連時代の録音。CD盤には録音年の記載がないが、メロディヤのLP盤から1970年とのこと。マクシムが示そうとした5番のスタンダードであり、初録音盤として後年の録音と比べるとやや気負ったような慎重さが感じられるものの、輝きのあるサウンドが良い。ソビエト国立響は金管楽器を中心に素晴らしい響きだが、マクシムの他の録音と比べてティンパニが控え目で物足りないというのは否めない。

井上道義指揮/サンクトペテルブルク交響楽団

2007.11.04/Live Octavia

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日比谷公会堂の交響曲全曲演奏プロジェクト2日目のプログラムとなった5番と6番。井上は作曲順に演奏するので、5番が前。オーソドックスな解釈による演奏に思えるが、サンクトペテルブルク響のサウンドが実に素晴らしい。初日はやや細く頼りない印象もあったが、ソ連時代を彷彿とさせる骨太で真っ直ぐな暗めのサウンドに「これだ!」と膝を叩くことになる。日比谷公会堂の響きが生きている。ザクザクと前に届いてくるスネア(1楽章は元より、2楽章の装飾音符まで理想的)。4楽章の練習番号121の遠くから鳴るスネアの装飾音符も残響によって埋もれない打撃音が実に良い。ジャラジャラと響きに任せず、一打一打が重く届くこの音響は、あえて老朽化した日比谷公会堂での公演を前提としたプロジェクトの貴重な記録である。どこか古臭い響きにも感じられる演奏であり、現代的な洗練とはほど遠いが、これぞ正統シンフォニストの末裔であるショスタコーヴィチのサウンドである、という説得力に満ちている。ひと言で言えば、格好良いということである。

ショルティ指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1993.02.06-07/Live London/Decca

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ショルティのショスタコーヴィチである。ショルティがショスタコーヴィチを演奏するようになったのは晩年のことで、七つの交響曲とショスタコーヴィチ編曲「死の歌と踊り」(ムソルグスキー)の録音は、全て90年代に行われている。当盤はムジーク・フェラインザールでのライブ録音であり、ウィーン・フィルのショスタコーヴィチ、という想像しにくいサウンドを聴くことができる。ウィーン・フィル独特の古典的なサウンドは魅力的で、それがショスタコーヴィチに実によく合っていることをわからせてくれる。ショルティの引き締まったテンポと無駄のない表現により、ストイックな世界観を聴くことができる。この極上のサウンドは、ショルティとウィーン・フィルの組み合わせならではだろう。ショルティの録音したマーラーに心奪われた私としては(特に6番は我が青春のディスクとして心刻まれている)、私がいかにショルティ好きかということを思い出させてくれる個人的にも愛着の深い一枚。

ショルティ ショスタコーヴィチを語る 1994.05.16

上記ロンドン初回プレス盤に付属したシングルCD。ショルティがショスタコーヴィチについて語るインタビュー録音である。あわせて紹介したい。ショルティは、ショスタコーヴィチの演奏に取り組んだのは8-9年前と語る。つまり、1980年代半ばである。このインタビューにおいて、ショルティはヴォルコフ『ショスタコーヴィチの証言』について「まったく影響していません」と断言している。後に13番の録音より前には読んだということで、『ショルティ自伝』では「猛烈な弾圧を受けながら仕事をしていたのを理解した。自分がどれほど誤解していたか悟り、私は彼の音楽を積極的に指揮するようになった」とある。ハンガリー出身のユダヤ系でドイツ国籍であったショルティは、ショスタコーヴィチを「現代音楽」と表現しているが、まさに同時代の作曲家であるショスタコーヴィチに対して、何を思っていたことだろうか。情報の少ない時代、ソビエト当局のお抱え作曲家という見られ方の中で、ショルティなりのアプローチがあったのだろう。七つの交響曲を録音し、「残りの八つの交響曲も取り上げたい」と語っていることから、全集の完成も期待されたが、15番の録音と同年に他界し、叶わぬ夢となった。