交響曲第7番 ハ長調 作品60(レニングラード)
スヴェトラーノフ指揮/ソビエト国立交響楽団
1968 Scribendum/Melodiya
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ショスタコーヴィチ、そしてスヴェトラーノフの演奏史上において語られる68年スタジオ録音盤をスクリベンダムがリマスタ。高音質で蘇らせた。発売時は同時に78年ライブ盤もリリースされ、まさにジャケットのように「炎盤」と「吹雪盤」とでも言えそうな7番の超名盤2枚。ソビエトの寒々とした写真の中に、御大の姿が混ざっている。後ろの炎も、この演奏をよく表している。個人的には、スヴェトラーノフはラフマニノフの交響的舞曲のLP盤(1972年)で知った指揮者であり、以来、ラフマニノフを中心に聴いてきた。スヴェトラーノフの手に掛かると、ショスタコーヴィチの7番の持つストーリー性、重量級の巨大作品としての魅力が、これでもかという説得力で示される。ダイナミックな感動を届けてくれる。1楽章の「戦争の主題」は衝撃的で、これでもかというほどに音量が増していき、もう120パーセントというところまで早くから到達するが、その先もさらにクレッシェンドは続く。スピーカーが壊れるかと思うほど超高密度の大音量。そしてアッチェルを掛けていき、オーケストラはとにかくもう、この世のものとは思えないもの凄い状態に。分厚いオケ、突き抜ける金管。スネアの音量も凄まじい。大洪水に飲み込まれる。この演奏を聴いて平然としてはいられまい。スクリベンダムのリマスタリングは素晴らしい効果で、既出のものより遥かに音質が良い。この演奏への評価はさらに高まるだろう。
スヴェトラーノフ指揮/ソビエト国立交響楽団
1978.02.28/Live Scribendum
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2003年8月にスクリベンダムより2種のスヴェトラーノフ7番がリリースされた(このレビューを初めに記したまさにその日である)。68年スタジオ盤と、今回が初出になるこの78年ライブ盤。68年盤の凄まじさはよく知られるところで、その10年後のライブ盤をかねてより楽しみにしていたが、これは予想を遥かに上回る超強烈な演奏。よくここまで鳴る、という過去の体験を全て超えてくるようなオーケストラのパワー。金管の鳴りだけではない。オーケストラ一体の底知れぬ力強さがある。比較的明瞭な録音で、68年盤よりもリアルなサウンドが届いてくるが、1楽章冒頭から既に最大級の迫力である。ティンパニのハッキリした輪郭は68年盤では録音の精度からも聴かれなかったもので、とんでもないレベル。「戦争の主題」は68年盤よりもゆっくりとしたテンポで、穏やかな装いだが、しかしやはりこの怒涛のアッチェル!最終的にはかなりのテンポまで上がっていき、音量は想像を凌ぐもの凄いところまで行き着く。凄すぎる。「ぷいぷい!!」が徐々に恐怖の行進に変わっていく様は、鳥肌が立つ。各楽器とも絶叫しており、スネアは勢いあまってリム・ショットが入る。ライブゆえのミスなどお構いなしに、曲は強大なうねりの中で進んでいく。ピアノの歌のような繊細な響きと、フォルテの凶暴な咆哮、炸裂、このダイナミックス・レンジの広さは、他のどの録音でもそうそう聴くことはできまい。4楽章に入ると、さすがにオーケストラの乱れが見えてくるが、それでも怒涛の爆竜は止まらない。最後の最後までこのテンションを維持し続ける。後半ではたっぷり休んだ金管・打楽器群が再び大音量で攻めてくる。大砲のようなティンパニ、大太鼓、終始ぶりぶりと唸り続ける金管。最後はかなり遅めの重いテンポで、とても人間業とは思えない。スヴェトラーノフ・クレッシェンドは一体どれだけ伸ばしているのか…。測ってみよう…、14秒だ!長い!!卒倒しそうである。ライブゆえのミス、アンサンブルの乱れもあちこちに散見され傷だらけ、ライブのノイズもあるが(ぷいぷいと同じタイミングで咳をする観客が!)、この大迫力の前では全てを飲み込んでいく。凄まじい一枚である。
スヴェトラーノフ指揮/スウェーデン放送交響楽団
1993.09.10-11/Live Daphne
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半ば伝説となったスヴェトラーノフとスウェーデン放送響のライブ。ソビエト国立響との2枚の爆演(としか言いようがない)と比べて、録音の良さもあって壮大で美麗な面が出ている。低音や打楽器の炸裂音を豊かに鳴らす音圧。国立響の2枚に続けてこのCDをプレーヤーに掛けると、深く伸びの良いサウンドに思わず声を上げて仰け反ってしまった。ズシリと響く低音の効いたオーケストラは、技術的にも素晴らしい。国立響盤の狂気的な1楽章と比べると落ち着いているが、終楽章に向かうにつれての音楽の積み重ねはドラマチック。4楽章ラスト大団円の巨大さに感激する。低音が効いたオケを背景に、あり得ない音量(とそれを捉える録音で)打ち鳴らされる大太鼓の存在感。巨匠としての風格が増したスヴェトラーノフの深い味わいもあり、素晴らしい演奏。突き進むような攻撃性や冷酷さは影を潜め、そこにあるのは深く温かい音楽。この演奏を聴きながらイメージするのは、ショスタコーヴィチが描いたレニングラードという都市というよりは、スヴェトラーノフの芸術そのものだ。
ロジェストヴェンスキー指揮/ソビエト国立文化省交響楽団
1984 BMG/Melodiya
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とてもスケールの大きな感動的な演奏。ロジェストヴェンスキーとソビエト文化省のコンビに感傷的な評価コメントはあまり似合わないと思っていたが、それは間違いだと気付かされた一枚。素晴らしい。1楽章は堅実なテンポでじっくりと聴かせる。それでいてこのこのコンビ特有の、そして当時ソ連の頂点に達したかのようなパワフルなオケによって、尋常ではない強烈なサウンドを聴かせる。通常あり得ないような金管と打楽器の強奏も、全てに意味があるように思える。この巨大な交響曲を緊張感のある引き締まったサウンドで最後まで駆け抜ける名演。実に丁寧な構築。ロジェヴェンならもっと駆け込むような大暴走の「戦争の主題」を期待してしまうが、それは良い意味で裏切られる。特筆すべきは3楽章以降である。練習番号126以降のドラマツルギー。当時を知るロシア人としてのロジェヴェンの血がこういう演奏にさせたのか、不必要なわざとらしいまでの叙情性に流されることなく、表面的な大音量、大爆発でごまかされもしない。「爆演」と称されがちなこのコンビだが、真剣さがひしひしと伝わってくるとても真摯な演奏であり、この感動こそレニングラードに求めたい。
バルシャイ指揮/ユンゲ・ドイチェ・フィルハーモニー,モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1991.06.22/Live BIS
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東西ドイツ統一後のソ連崩壊直前、ナチスのソ連侵攻50周年に行われた記念演奏会のライブ録音。指揮はショスタコーヴィチと親交深く、編曲も手掛けているバルシャイ。ユダヤ系ロシア人である。演奏は、ユンゲ・ドイチェ・フィルとモスクワ・フィルの合同オケ。先の大戦をめぐるロシアとドイツの関係性は非常にセンシティブだ。7番が望まずとも国威高揚に用いられたという運命を考えても、この曲を取り上げたことには意味があるだろう。「核戦争防止国際医師の会」主催によるこの記念演奏会に、ドイツの若き音楽学生とソ連の名門モスクワ・フィルが集まった。会場までもが一体となった、切なく痛々しいまでの感動がある。当時の状況は一柳富美子先生の解説に詳しい。7番の成立過程を含め、こうした演奏会が開かれたことに、音楽という芸術の在り方をここに見ることができる歴史的な一枚。引き締まったテンポと統制されたサウンド。ユンゲ・ドイチェの若々しく技術に秀でた若者たちと、ソ連の手練れの奏者たちの競演が絶妙なバランスを生み出す。トラック5には「鳴りやまぬ拍手」として2分半もの拍手が収録されているが、終演後に十分に間を置いて祈るような静寂の後にあふれる拍手があふれるところに、この演奏の一層の特別感を得ることになる。
N.ヤルヴィ指揮/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
1988.02 Chandos
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ヤルヴィの意外すぎる超爆演。比較的どんな曲でもそつなくこなす(ただし、いずれも速い)ヤルヴィは、実に職人的な手堅い演奏をする、という思い込みは、このディスクで一気に崩れ去る。私はヤルヴィの11番との出会いによってショスタコーヴィチ、そして音盤の蒐集という世界へと踏み込んだ(ショスタコーヴィチ以外にもヤルヴィの音盤には並々ならぬ愛着を持っている。例えば、シャンドスのマーラー6番などは「まさにヤルヴィだ」という名録音であり、大好きだ。マーラー6番は長大な曲ゆえに、通常2枚組で売られているところ、ヤルヴィは1枚。しかもカップリング付きという余裕よ。この超速の6番に随分と心奪われたものだ)。さて、このショスタコーヴィチ7番も、冒頭からヤルヴィらしく、とにかく速い。CDを再生してすぐに誰もが「速っ!!」とおののくことだろう。全曲を69分で駆け抜ける。しかし、いや、駆け抜けてなどいない。あちこちで事故を起こしながら、爆走し、強引に突き進む。まるでカーチェイス。時に崩壊寸前。しかし、これはスタジオ録音。ヤルヴィは冷静にオーケストラを統率し、超速いテンポを自在にドライブしてみせる職人気質が魅力であることは間違いないが、この7番のヤルヴィ…。スケジュールやその他の都合でこうとしかならなかったのか。あるいは、これはこれで良しなのか。とにかく、その荒れっぷりは凄まじい。スネアは早々に音量が上がってしまい、リズムは落ち着かずに乱れる(複数名で叩くのだが、明らかに「あ、今一人離脱したな」という箇所もある。2小節の延々ループなのだが、今1小節目なのか2小節目なのか見失いやすい曲なのだ。そして不安になる)。3楽章、練習番号126など、これほど格好良く、そして興奮するスネアが他にあろうか。それにしても、まさかの爆音なのである。駆け込むようなフィナーレの感動。金管の鳴りっぷりが凄まじい。このべったりとした強奏、ソ連オケを彷彿とさせる。ヤルヴィのソ連モードが大爆発だ!!所々でバランスの悪い当盤、私は同曲のベスト盤として推したい。最後に、この録音にはジャケットに献辞が付記されている。「ロシアの偉大なる指揮者エフゲニー・アレクサンドロヴィチ・ムラヴィンスキーの思い出に」。ムラヴィンスキーが亡くなったのは88年1月。この録音の前月である。ヤルヴィの感情の迸りは、そのためか…。
バーンスタイン指揮/シカゴ交響楽団
1988.06/Live Deutsche Grammophon
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70歳直前のバーンスタインが37年ぶりにシカゴ響を振ったという伝説的ライブのメイン・プログラム。バーンスタインの振るショスタコーヴィチには独特な世界観があるが、このアメリカを代表する明るさと力強さを持ったスーパーオーケストラが奏でるレニングラードには格別の魅力がある。80年代のシカゴ響である。閃光のように輝くサウンド、世界最高峰の技術を惜しげもなく披露してくれる。これをややセンチメンタルなバーンスタインの粘りのある棒がコントロールすれば、極上の85分間の音楽世界が完成する。全体的に極めて遅いテンポだが、意味のあるテンポであることが納得できる実に濃密な85分である(2枚組)。シカゴ響のサウンドは1楽章冒頭から既に特別な響きで、明瞭ながら深い。引き締まっているが伸びやか。切れ味鋭い金管と打楽器の圧倒的なパワー。バーンスタインはこの巨大な交響曲を半ば自己陶酔的に曲の中に没入していくように、極めて深く感動的に歌い込んでいく。特に3楽章から4楽章に至る音の洪水は、アンプを大音量にして酔いしれたい。テンポをここまで落として演奏される3楽章の濃密な響きは、この曲が持つ悲痛な叫びを増幅させ、内面にじっくりと向き合う機会を与えてくれる。今後も、決して越えられることのない7番の決定的名演であり、この曲の一つの完成された姿と思える。
P.ヤルヴィ指揮/ロシア・ナショナル管弦楽団
2014.02 Pentatone
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ロシア・ナショナル管のショスタコーヴィチ・シリーズからパーヴォ・ヤルヴィによる7番。これが実に爽やかで青春のような名演となっている。私はネーメ・ヤルヴィの録音の信奉者なので、当WEBサイトには多数の評が上がっているわけだが、息子パーヴォとわざわざ比較するのも無粋だと思っていた。しかしどうですか!この爽やかさ!!父ヤルヴィのマーラー6番を初めて聴いたときのような、ぞくぞく、わくわくとする精神的な健やかさと広がり、興奮。抜群のテンポ感でこの巨大な交響曲をあっという間に駆け巡っていく。大冒険。このキラキラとした輝きは他では聴くことができない。ショスタコーヴィチの7番は、スヴェトラーノフとバーンスタインという二大巨匠の名盤がまず筆頭で、私にようにロジェヴェン、ヤルヴィ、バルシャイを愛聴する者にはそれらが上位に評価されるのだろう。これら錚々たる名盤とはまるで異なるアプローチながら、もし私にとって初めての7番がパーヴォだったならば…、きっと当盤こそベストに推していただろう。ティンパニやスネア、大太鼓といった主役級の打楽器はもちろんながら、タンバリンや木琴の響きが素晴らしく、これぞショスタコーヴィチのスコアだと思わされる。
井上道義指揮/サンクトペテルブルク交響楽団
2007.11.10/Live Octavia
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日比谷公会堂の交響曲全曲演奏プロジェクト3日目。日比谷公会堂のデッドな響きが生きた素晴らしい録音。レニングラード包囲下で演奏を届けたエリアスベルクのオーケストラ。当時はレニングラードの名を冠し、この曲の存在とは切り離せない。技術的には現代の欧米のオーケストラと比べれば不安定ながら、その力強さとストレートな響きには格別な魅力がある。1楽章のスネアが理想的なサウンド。シンプルなリズムながら、ヴァイオリンのソロのあとにpppで始まるこの緊張感は、奏者にとってはなかなかの試練。(私自身の演奏経験からもまさに試練だったが)どれだけ小さく叩けるか、痩せずにヨレることなく堂々とした推進力を発揮できるか、ということなのだが、実に骨太なサウンドで、最弱音にもかかわらずはっきりした存在感がある。カラカラと軽くならず、余計な残響もせず、しかも埋もれることのない芯の太い音色。この録音、まさに日比谷公会堂だからこそ成し得たものではなかろうか。それこそスピーカーに耳を付けて聴いたり、イヤフォンで聴いたりすると、この弱音を感動するほどの生々しいサウンドで聴くことができる。全体体には不格好な凸凹があるにせよ、理想的な1楽章スネアと、ドラマチックなストーリー性、テンポ設定が素晴らしい一枚。
テミルカーノフ指揮/サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団
2008.05.22/Live Signam
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7番は録音の恵まれた曲で、素晴らしく、そしてそれぞれアプローチの異なる多彩な名盤が残されている。スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキー、バルシャイ、ヤルヴィ、そしてバーンスタイン…、至高の名盤である。例えば12番のように録音に恵まれない曲と比べれば、聴き比べの幸せも十分に感じられる。テミルカーノフもそうした名盤の一つ。とても綺麗な演奏。サンクトペテルブルク・フィルの力強い推進力と美しく華麗なサウンドが、極上のレニングラード交響曲を奏でる。全体的にテンポは速めで、引き締まった無駄のない構成ながら、その密度は凄まじい。オーケストラのレベルが素晴らしいのはもちろんのこと、ソ連時代を引き継いで感動的なサウンド。スッキリとしたテンポの中にメリハリの効いた強弱陰陽の表現、バリッと割れるような音色と、布団を被ってすすり泣きたくなるような悲しい音色。多彩な感情表現とオーケストラの統制が最もバランスの良いところで収録された名演ライブ。テミルカーノフはどうしたってムラヴィンスキーとの比較の中でショスタコーヴィチ演奏を語られるポジションにいるわけだが、この名盤に触れてみるとどうだろう。ムラヴィンスキーやレニングラード・フィルといった言葉を離れて、テミルカーノフのレニングラードがまざまざと見えてくるではないか。この感動をどう表現したらよいか。スヴェトラーノフやロジェストヴェンスキー、そしてなぜかこの7番だけは激情的なヤルヴィの録音、バルシャイの記念的な演奏とは異なる、とても冷静な演奏。
M.ザンデルリンク指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
2017.02.14-16 Sony
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ミヒャエル・ザンデルリンクの交響曲全集、ついに第7番である。素晴らしい迫力とダイナミクス。録音が素晴らしいのもあるし、コントロールされたオーケストラがこの大曲を実に感動的に演奏してくれる。3楽章、4楽章の包括的な演出は見事だと思う。素直に感動する。管弦打のバランスが実に良い。キレ味を持ちつつ、感動的な壮大な交響曲。7番は、個人的にも感情的になってよい曲だと思っているし、素直に聴きたいな、という一曲でもある。我が国では令和が始まる2019年に「玉木宏 音楽サスペンス紀行 ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番」という番組が正月2日に放送され、私も見入った(玉木宏の、まるでショスタコーヴィチかという、細身のイケメン顔に黒ぶち眼鏡と黒コート、という出で立ちにも好感を得ました。玉木宏は、日本人なのになぜかショスタコーヴィチの30~40代を演じることができる役者ではないかと。写真キャプチャして掲載したいぐらい)。さて、ミヒャエル・ザンデルリンクは、ベートーヴェンとショスタコーヴィチの両交響曲の対比を世に示したわけだが、ベト6「田園」とショス6、ベト3「英雄」とショス10、ベト1とショス1、ベト5(運命)とショス5(革命)、ベト9「合唱付き」とショス13(バビ・ヤール)。これはなかなか素晴らしい企画で、ベト5とショス5の対比は当然としても、ベト3とショス10を対比したり、ベト9とショス13との対比は、とても面白い。さて、ショスタコーヴィチの7番はベートーヴェンとの対比において外れているぞ、というわけであるが、時代性を切り取った作品であり、ドイツとソビエトである。ここに「人間賛歌」というテーマがあるならば、ショスタコーヴィチの7番にはどの曲が対になるのだろうか、ということを考えても面白い。そんなことを考えながら、令和元年、ミヒャエル・ザンデルリンクの全集に出会えて幸せである。
ネルソンス指揮/バーミンガム市交響楽団
2011.11.10,12/Live Orfeo
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ボストン響盤と比べて、さらに速い。そしてオケもやや線が細く鋭い音色を持っているので、この速さとの相性が良い。結果として熱量の高いサウンドが強烈で、印象的な一枚。当時32歳の若く才能あふれる指揮者の挑戦的な姿勢が素晴らしい。好みはあるだろうが、どちらか選べということなら私はバーミンガム市響盤を取る。このハッキリした歯切れの良いリズムとテンポが好きだ。ライブ録音だが揺れや瑕はなく、整った演奏。終演後には万雷の拍手が長時間収録されており、聴衆の熱狂が伝わってくる(日本とは違うウェーイな感じはどうも苦手ではあるが…)。
ネルソンス指揮/ボストン交響楽団
2017.02/Live Deutsche Grammophon
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ネルソンスの交響曲全曲録音プロジェクトからの第7番。素晴らしいオケの技術と録音によるシリーズである。7番と言えばその生々しいドラマから、ライブでこそ真価を発揮しそうな曲だが、しっかりとコントロールされた演奏と録音での演奏もぜひ味わいたいものである。その雄が当盤であろうと思うし、感動的な一枚に仕上がっている。私がこの録音の魅力を伝えるに一番に言いたいのは、やはりコントロール。テンポの変化など、実に計画されているし、それが清々しいほど格好良い。私の個人的な好みとしては、速めが好きなわけだが、この録音もそう。そして、きっちりとコントロールされている。規律、統率、というのはこのような曲だからこそ生きると思っている。それが非常に重要だ。スネアについては、相変わらず余裕でサラサラと軽めだが、存在感はある。これまで愛聴してきた録音のガツガツした感じとは違うが、録音上の妙もあってやはりショスタコのスネアとして存在感を示しつつ、心地良い。スコアを片手に聴いてみたが、それも面白い。「そうだよね!」という共感が生まれる。それにしても、このネルソンスの全曲録音シリーズは、ライブからの編集を主としており、ライブ盤の定義を覆したと言えるだろう。かつて、ライブ盤と言えば、「○年○月○日の記念的演奏」という価値があったと私は思っているが、このようにライブの収録音源を元に編集されたCDは、スタジオ録音盤とどう異なるのだろうか。かねてより当ページには書いているとおり、私は自宅でCDで聴くならスタジオ録音盤がいいと思っているのだが、このネルソンス盤を「ライブ録音です」と表記することには違和感を覚える。ハイブリッド盤とでも言おうか。もしかしたらCD録音の完成形なのかもしれない。
ベルグルンド指揮/ボーンマス交響楽団
1974.01 EMI
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重厚感ある強力なオーケストラが素晴らしく、早々に音量を増しながら濃密なサウンドで巨大化していく様は、ある種の畏怖さえ感じさせる。時折バリバリと金管が底から唸るような音色を奏でる。この濃密さ、粘り強さ。それでいて独り善がりではない客観性。ベルグルンドという指揮者の芸術性を聴くことができる。ベルグルンドの残したショスタコーヴィチ録音の中でも最も評価される名盤と言えるだろう。オーケストラの充実度は言うまでもなく、打楽器のショスタコーヴィチらしい存在感はバランスが良く、バラッバラッと太い音を鳴らすスネアや豊かなシンバルなど、この曲の要所要所で非常に重要な役割を一つずつしっかりと果たしていく。そして終楽章は白眉で、粘り強い強烈なサウンドながらまったく嫌味のない美しいラストを迎える。
ケーゲル指揮/ライプツィヒ放送交響楽団
1972.05.16 Weitblick
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その独特のシビアな響きは魅力的で、テンポはかなり速めだが時にぐっと落として重々しく歌うドラマツルギーが、単に厳格なだけには陥らない感動的な演奏にしている。激しいリズムと切り裂くような金管の音色、硬質なオーケストラ。ケーゲルのショスタコーヴィチへのアプローチは独特で、ソ連系の指揮者とも西側指揮者とも異なる、どこか乾燥して暗く、そして純粋な鋭いサウンドがたまらなく魅力的である。東ドイツという背景がそうさせているのかはわからないが、ケーゲルのショスタコーヴィチはどの曲を聴いても一貫したサウンドである。
ノイマン指揮/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
1974.03.19-20 Supraphon
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このコンビの理想的なサウンド。打楽器はくすんだ音程感のないデッドな響き、管楽器の芯のある温かな音色はが美しい。決して輪郭のぼやけた薄く曖昧な音ではない。しっかりと煮込まれた濃い味とでも言おうか。私は特に2楽章がとても好きだが、両端楽章やドラマチックな3楽章に埋もれることなく、器楽曲として抜群の魅力を聴かせてくれる。リズミックで各楽器の職人的な活躍が素晴らしい。4楽章の中間部が極端に遅いが、全体的には次々と曲想が展開していくスピード感が生きており、この長大な曲を一気に聴かせる。
キタエンコ指揮/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
2003.09.15,17-18/Live Capriccio
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キタエンコ全集の中期交響曲の中で輝くのがこの7番。感情的な爆発を抑えたとても冷静な演奏ながら、重量感ある素晴らしいサウンドと録音で十分な迫力がある。3楽章の温かい響きは大変美しい。この楽章だけを単体で取り出すならば、これだけ美しい演奏はそうはない。歌い込みも共感できるものだし、練習番号130辺りの盛り上がりは、感動的で目頭が熱くなる。続く4楽章も完成度が高い。スヴェトラーノフのような激しさとは違うが、時折強烈な響きを伴いながらラストまで感情を込めて歌い抜く。じっくりとテンポを落として丁寧に演奏されており、CDは2枚組。
ラザレフ指揮/日本フィルハーモニー交響楽団
2014.03.14-15/Live Exton
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ラザレフと日フィルによる「ラザレフが刻むロシアの魂」シリーズ、2014年からのショスタコーヴィチ・シーズン。ライナーにはラザレフのインタビューが断片的に掲載されており、サントリーホールが可能にした3楽章の静謐、そしてラザレフの学生時代の体験として「ムラヴィンスキーやコンドラシンの振ったショスタコーヴィチを聴くたびに強烈な印象にとらわれて、ホールからすぐには帰宅する気も起こらず、1週間は余韻が残っていた」と語り、4,7,8,11番といった大曲志向にも触れている。まさに大曲「レニングラード」だが、日フィルの鋭く切れ味ある明るいサウンドと、エクストンの同シリーズへの録音の傾向から、決して重くないストラクチャーな音楽世界を作り上げている。戦争の主題は後ろの8分音符を伸ばして個性的だが、金管楽器やタンバリンのクリアな音色と引き締まったテンポ感によって間延びすることはない。硬質な大太鼓の存在感も目立つ。巨大な音楽ではあるが、重くはならない。全体では70分。
ハイティンク指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
1979.11.12-14 Tower Records/Decca
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ハイティンクは実に堅実な演奏を聴かせる。西側指揮者初の全集録音だが、例えばバルシャイとユンゲ・ドイチェに代表されるような政治的イデオロギーや作曲背景に触れることなく、ただスコアに向かうひたすら真面目な演奏。そして緻密。純粋な器楽交響曲としてのレニングラードである。正確にスコアを再現し、音を構築していく。シンフォニストとしてのショスタコーヴィチに真正面から取り組んだ演奏。録音の特性だろう、やや薄く乾いたサウンドで、テンポは随所でかなり落として演奏されるものの、とても引き締まった緊張感ある仕上がり。静謐で透き通った3楽章がとても美しい。7番がやはり偉大な交響曲であることを再認識させられる。
タバコフ指揮/ブルガリア国立放送交響楽団
2011.06.13-17 Gega New
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タバコフ全集の中でもひと際感動的な一枚に仕上がっている。丹念に積み上げていく1楽章。スネアはサウンドこそ安定しないが、リズムは明瞭で良い。1楽章は遅すぎず、重くなりすぎないテンポ感が良い。もっと疲れてしまうかと思いきや最後までエネルギーがあり、これはぜひライブで聴きたい。改めて7番の感動と向き合うことになる。タバコフ全集の魅力でもある軋むような力強い弦楽器の響きも良く、3楽章は感動的。そして最後まで息切れすることなく4楽章まで濃密で壮大な世界観を見事に表現していると言えるだろう。レニングラードには洗練された響きよりも、土臭さが格別に似合う曲なのだと再認識。
スラドコフスキー指揮/タタールスタン国立交響楽団
2016 Melodiya
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ローカルなタタールスタン響のサウンドが魅力的なスラドコフスキー全集から。1楽章の戦争の主題は明らかにアッチェルが掛かっているのだが、全体的にどこなく不安定なテンポはこの演奏にとってマイナスではない。80分を超える長大な録音で2枚組になっているが、鈍重さや必要以上の重苦しさはなく、一筋縄ではスコアのページを通過していかないというこのコンビの特徴がよく表れている。各楽器の明瞭な響きも良く、現代の録音だがザクザクと極寒の行軍をイメージさせるロシア臭の強い演奏。大太鼓やティンパニの低音がはっきりとしており、スネアのリズムも良い。スラドコフスキー全集は、技術的に不安のある録音もあるが、7番では見事に重量級の名演となっており、伝統の延長にある興奮を呼び起こす。メロディアスな曲想が合っているのかもしれない。私は、スラドコフスキーはショスタコーヴィチ以外の録音を聴いたことがないが、マーラーやラフマニノフとは相性が良いのではないかと想像する。
コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1975 BMG/Melodiya
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コンドラシンによる記念すべき世界初のショスタコーヴィチ全集から。全集最後に収録されたのがこの7番である。この7番という曲が録音の厚みや奥行きによってとてつもない音響効果を生む曲なのだと考えれば、録音上の不利と惜しさは拭えない。しかし、コンドラシンの鋭い視点で解釈された演奏は、他のどの指揮者とも異なるエッジの利いた名盤となっている。コンドラシンは、大袈裟な歌い回しやわざとらしくドラマチックな展開はしないので、物足りなく聴こえる部分もあるかもしれないが、シャープで切れ味ある演奏。鋭く切り込んでくる金管や高弦の音色は、このコンビならではの魅力に満ちている。スヴェトラーノフやバーンスタインのような感情移入型のぶ厚い熱演が望まれる一方で、いかにもショスタコーヴィチらしい冷たい響きを表現した演奏であり、ムラヴィンスキー盤の音質を考えると、ソビエト同時代の演奏として、コンドラシン盤はかなり貴重だと思う。
バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック
1962.10.22-23 Sony
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バーンスタインのレニングラードを語るときは、どうしてもシカゴ響とのライブ盤が印象的であり、当盤もそれとの比較になってしまうわけだが、あの円熟したバーンスタインの世界観に対して、この60年代初頭の演奏は引き締まったスリムなストイックさを感じさせる。各楽器間のバランスも良い。じっくり歌い上げるところもあり、バーンスタインの高い芸術性、そしてテクニックを感じさせる。録音も良い。シカゴ盤に比べればテンポも速く聴きやすく、そしてこのドラマチックな曲想と相俟って、理解しやすい一枚。実のところ私にとってレニングラードの印象はこのバーンスタイン盤であり、個人的なことを言えば、当盤は私が初めて買ったショスタコーヴィチのCDなのである。格別に思い出深い一枚。高校生だった。レコード屋は町田のTahara。木目の壁で仕切られたクラシックコーナーの光景は今でも忘れない。レコード屋といえば町田Tahara。町田・相模大野・本厚木・新百合ヶ丘と、自分の生活圏でお世話になったレコード屋であり、Taharaの存在あってこそCDリスナーとして育てられたと自覚している。当時購入したのはジャケット画像に載せている"The Golden Age of Lenard Bernstein"シリーズの5番、9番との2枚組CD。売の発売表記は1995年9月21日の記載がある。この1995年から私のショスタコーヴィチCDの蒐集が始まったようだ。所有しているショスタコーヴィチのCDでは最も古く手元に置いたものなので、高校生の頃から丁寧に扱ってきたつもりなのだが、プラケースや帯、ライナーにはかなりの劣化が見られる。これがショスタコーヴィチとの出会いであった。
V.ペトレンコ指揮/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
2012.06.01-03 Naxos
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現代的アプローチで定評のあるペトレンコ全集。このまろやかな流体のようなサウンドが、7番をまるで別の曲にしている(いや、スヴェトラやロジェヴェンと比べて、ということだが)。それでいて説得力のある力強い演奏であり、2000年代全集の安定したクオリティー。この安定感は本当に素晴らしいもので、「可もなく不可もなく」ではない、芸術表現の好みを超えたところにある「基準」のようなものをしっかりと満たしてくれる。3楽章の爽やかさが印象的で、強奏部のクリアなスピード感が良い。全体的には速めのテンポを取っているが、勢いで胡麻化すことのない職人的で丁寧な演奏になっている。
スヴェトラーノフ指揮/ハーグ・レジデンティ管弦楽団
1995.01.19-20/Live Canyon
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スウェーデン放送響との伝説ライブから2年後の録音。解釈はそう大きな変化はないだろうが、そのサウンドはオーケストラの持つ力量がそのまま表れている。ソビエト国立響はもちろんのこと、スウェーデン放送響の超重量級の録音の前では、どうしても見劣りするというのが正直な感想。しかしこのスッキリしたサウンドの中には前3種の録音では聴かれなかった明瞭な響きがあり、スヴェトラーノフのレニングラードを理解する上では外せない一枚である。怒涛のラストの伸びはやはりとてつもなく長い。
ロジェストヴェンスキー指揮/モスクワ放送交響楽団
1968.01.08/Live Brilliant
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録音がかなり悪い。強奏部で音が遠くなるのはこの演奏の一番の魅力を削ぐ。録音状態が残念でならないが、その演奏内容は素晴らしい。豪快なサウンドはロジェストヴェンスキーならではだが、3楽章、4楽章の高揚感は素晴らしく、ライブならではのもの凄い盛り上がりを見せる。スヴェトラーノフ盤に通ずる限界炸裂の金管が魅力的。60年代後半のロジェヴェンとモスクワ放送響のコンビは、数々の名ライブを残しているが、当盤もそうした名演の一つに数えられる。それにしてもこの恥ずかしいまでの「ぶりぶり感」、さすがロジェヴェン先生。ロジェヴェンの魅力を教えてくれる一枚。
バルシャイ指揮/ケルンWDR交響楽団
1992.09 Brilliant
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ユンゲ・ドイチェとの記念碑的名ライブが強烈な印象を残すバルシャイだが、このセッション録音盤もまた曲の解釈は同様で、実に丁寧に奥深くまで探っていくような思索的な演奏に感じられる。2-3楽章のアプローチは個人的にはとても好きだ。ユンゲ・ドイチェが技術的なパワー不足を情熱で補えていたことを考えれば、WDRには技術面でもう少し安定の貫禄を見せてほしいところだが、そうしたアドヴァンテージは感じられない。地味と言えば地味なのだが、この味わい深いレニングラードをぜひ聴いてもらいたい。
M.ショスタコーヴィチ指揮/ロンドン交響楽団
1990.11 Collins
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どんどんと膨れ上がっていく巨大な1楽章が凄まじい。全体的に雑な感がないでもないが、そのエネルギーは素晴らしい。ロンドン響の明るいサウンドが素晴らしい一方で、アンサンブルはまとまりがない。崩壊するか、と思いきや何とか切り抜けていくサバイバル的演奏である。80分超えの演奏となっており、2枚組。3-4楽章がバーンスタインを超える遅さで悶絶する。
アシュケナージ指揮/サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団
1995.05.5-6 Decca
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CDの1トラック目に1941年9月17日にラジオ放送されたショスタコーヴィチの肉声の一部が収録されている。ドイツ軍に包囲される中、ショスタコーヴィチ自身のメッセージは人々に勇気と闘志を与えたことだろう。我が国では「玉木宏 音楽サスペンス紀行 ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番」(2019年)が放送され、当時の状況を伝える良いドキュメンタリー番組だったと思うが、こうした背景を知って聴いてみるとさらにこの曲の魅力に気付くことができる。アシュケナージは意外にも重く粘着質な表現をしてみせるが、録音の良さと1995年のサンクトペテルブルク・フィルの華麗で豪奢なサウンドの素晴らしさもあって、聴き応えのある一枚となっている。4楽章のティンパニが好き。
ナヌート指揮/リュブリャナ交響楽団
1990.11 Michele Audio
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「クラシック・ジャーナル」誌によるショスタコーヴィチのディスク聴き比べで、7番のベスト1に輝いたのが当盤。まさかナヌートが1位とは夢にも思わなかったが、実に手堅い演奏なのである。次いで2位はロジェストヴェンスキー盤、3位はバーンスタインのライブ盤、4位にベルグルンド、5位がスヴェトラーノフの68年盤であった。ナヌートもリュブリャナ響もマイナーだが、このコンビはしばしば駅前の安売りワゴンなどで発掘することができる。廉価に似合わぬ猛烈演奏で、もっと評価されていいと思うが、謎の巨匠として君臨するのを見守りたい(いわゆる幽霊指揮者の「中の人」として名演を数々残しているであろう)。国立響だのソビ文だのシカゴ響だのと、名盤を残しているオケはいずれも超重量級で、それらの演奏と比べると確かに迫力には欠けるし、オケの技量は決して高いわけでもなく、アンサンブルも怪しくサウンドは細い。シンバルなどの改変も好みではないが、丁寧に心のこもった演奏をしているのが本盤の何よりの魅力。この曲から変な力みを取り除いて素直に演奏するとこうなるのではなかろうか。ちなみに、リュブリャナ交響楽団は、リュブリャナ放送交響楽団、スロヴェニア放送交響楽団と同じオケだが、オケ表記はジャケットに従った。
スロヴァーク指揮/スロヴァキア放送交響楽団
1989.01.01-02.05 Naxos
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スロヴァークの全集は、一周回ってもうむしろ好きだね。オーケストラの弱い響きと録音の薄さがもはや特徴のような印象になっているが、弦楽器が一生懸命に曲全体を作ってくれているのと、明瞭な打楽器が好演しており、特にこの7番では良い部分が多分に表れている。いつもながらオケ全体のリズムが甘いので、1楽章スネアのように一貫したメトロノーム役がいるととても引き締まる。スロヴァークの全集はティンパニや大太鼓、鍵盤楽器はなかなか良いので、2楽章の中間部なども生きる。無論、スヴェトラーノフやロジェストヴェンスキーの名盤に代表される圧倒的なパワーに裏打ちされた演奏とはまるで異なるものだが、激動の89年の元旦から録音しているスロヴァークとスロヴァキア響に敬意を表する。
コフマン指揮/ボン・ベートーヴェン管弦楽団
2004.06.01-04 MDG
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まるで室内編成に落とし込んだかのように、良い意味で小さくまとまっているコフマン全集。明瞭なサウンドで、巨大な激情型演奏では聴かれない繊細な音色にハッとさせられる。コフマンの面白いところは、こうした7番のような超大型交響曲でも変わらぬ室内的アプローチで、新たなショスタコーヴィチ像を提示しているところ。両端楽章は理知的で各楽器がしっかりと仕事を果たしつつ、スコアの持つ音楽的構造を描き出している。緩徐楽章の美しさは言うまでもない。4楽章のバルトーク・ピチカートは弦楽器が魅力的なコフマン全集らしく存在感がある。
ウィグレスワース指揮/BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団
1996.12.02-04 BIS
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なかなかに熱い演奏である。オケが力不足の部分もあるが、その熱意は評価すべき。3楽章、気合いの入りまくったシンバルに敬意を表したい。3楽章は本当に素晴らしい楽章だと素直に感動するわけだが、その頂点となる練習番号130の1小節前のシンバルは、もう他のどのような交響曲を差し置いても最高に素晴らしいシンバルなのである。ここまで情熱を込めて叩いてくれた当盤は、全体的には乱雑な印象はあるものの、ぜひ聴いていただきたい一枚。ショスタコーヴィチの並々ならぬスネアへの愛情は誰もが理解しているが、シンバルの格好良さもまた格別である。ところで、CDにはスネア奏者が指揮者の下に記されている。マーク・ウォーカーという奏者である。全集化に際してSACDにリマスタ。
インバル指揮/ウィーン交響楽団
1991/03.18-22 Denon
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90年代初頭に完成させたインバル全集から。当時、コンドラシンとロジェヴェンの全集でショスタコーヴィチの交響曲を聴いていた私は、ウィーン響のサウンドがまったくショスタコーヴィチのイメージを想起させずに違和感を覚えたものだが、歴史的、政治的背景を超えて純器楽的な演奏が一般的になると改めてインバル全集の価値に向き合うことができる。7番は特に歴史的、政治的背景を持つ曲だけに、インバルの気品ある抑制の効いた演奏は小ぢんまりしているとも言えるが、曲のあちこちで意外な美しさを感じることができる。よいしょ、とテンポを合わせていくようなオーケストラのリズム感全般の不安は全集の他の曲にも言えるか。
大植英次指揮/大阪フィルハーモニー交響楽団
2004.02.12-13/Live Fontec
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当時、このコンビによるショスタコーヴィチ7番、マーラー6番、ブルックナー8番という大曲が一気にリリースされた。SACDなので録音も優秀。決して無理はしていないけれど、どんどん肥大していく1楽章は聴きものだ。7番の名演を思い出すと、こうした大進撃の背景に凍て付くような寒さが感じられるのだが、そうした感情的な揺さぶりはなく、とても冷静。温かみを感じさせる3楽章は、ゆったりと構えたスケール感のある演奏に仕上がっている。4楽章も激昂するようなことはないが、十分な音響が綺麗に録られている。
トスカニーニ指揮/NBC交響楽団
1942.07.19/Live RCA/BMG
アメリカ初演のライブ録音。『ショスタコーヴィチの証言』によれば、作曲者自身がレコードを聴いて「すべてが間違っているのだ。」と酷評している。『証言』内では、「わたしはトスカニーニを憎んでいる。」というあまりの評価。その文体も含めて思わず笑ってしまう。フレージングが今日の一般的な演奏とは異なる箇所があちこちにあって違和感があるが(弦楽器のポルタメントが煩い)、生まれて間もないスコアをトスカニーニなりに料理しようとした結果なのだろうか。
ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1953.02.26 Victor/Melodiya
ムラヴィンスキーによる7番は、今のところこのスタジオ録音のみ。録音が古く、不明瞭な音像と音の遠さ、強奏部の歪みは、他のCDと比べられるものではないだろう。そのためヒストリカルとしての紹介だが、真に感動的な3楽章はムラヴィンスキーにしか到達できない何か氷の壁のようなものを感じる。決して熱くなりすぎず、例えばスヴェトラーノフと比較するとその燃焼度の差は歴然としているのだが、ムラヴィンスキーのある種の冷めた視点は非常に興味深い。5番や8番に接するような態度は変わらない。ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチがここにある。録音さえもう少し何とかなっていれば…、と願わずにはいられない。
アンチェル指揮/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
1957.10.02 Supraphon
アンチェルの2種ある7番のうちの一つ。力強く安定した演奏で、録音は古いものの十分な迫力が伝わってくる。両端楽章の強奏部はサクサクと速めのテンポで、必要以上に深刻にならない構造美を聴かせる演奏。これも一つの完成形というような説得力ある充実した内容である。当時のチェコ・フィルの優れた技術も聴きどころで、この巨大な交響曲を破綻なく見事にまとめ上げている。