交響曲第4番 ハ短調 作品43

スラットキン指揮/セントルイス交響楽団

1989.10.03 RCA/BMG

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その華麗で煌びやかな響きが、「ショスタコじゃない!」と思われる向きもあるかもしれない。しかしこうした華やかなショスタコーヴィチも心地良い。オケも素晴らしく、この難曲に対しほとんど不満がない。デジタル録音時代のCDとして、バランスに優れた名演奏。このスラットキン盤を4番のベストCDとしたい。演奏、録音ともに良質。スラットキンがショスタコーヴィチに何を見ているかはわからないが、実に華麗な演奏。4番は、その初演の遅れからかいかにも謎に満ちた曲とされているが、いやしかしそんなことはないだろう。1-3番に続く若き天才の意欲的、挑戦的な交響曲であり、ときに過度に装飾的で派手だ。10番以降の後期交響曲に比べれば、もっと素直なアプローチでよいだろう。ショスタコーヴィチはロストロポーヴィチに「全集を録音するなら4番以降にしてほしい」と言ったそうだが、それが真実であれば1-3番までのある種の実験作、あるいは習作を経て作り出された純粋な器楽交響曲だということか。解釈はそれぞれだろうが、4番に不必要なまでの暗号を読み取ろうとするのは野暮なことだ。オタク的な深読みをするよりは、スラットキン盤のようにドパ〜ッと華麗に響かせ、そのオーケストレーションの面白さを堪能させてくれるような演奏が好きだ。演奏内容では、とりあえず打楽器について触れておかねばならない。シンバルはサスペンドとの組み合わせを若干変更している箇所もあるが、どちらも明るい響きでよく鳴っている。1楽章プレストのスネアも、これだけ鳴っていれば申し分ない。ウッドブロックよりもスネアが一歩出ているほうがスコアの印象に近い(どうしても楽器の特性上、音抜けの良いウッドブロックが前面に出てしまうのだが)。ティンパニも音を割ることはなく、豊かな音色で叩いている。クリアに届いてくるところがさすが。大太鼓も鍵盤も安定した演奏。トライアングルやグロッケン、サスペンデッド・シンバルなどの金属打楽器がキラキラと美しいのは、スラットキンの他の録音でもそう。このディスクで特筆すべきことがもう一つ。例によってトラックの切り方だが、なんとスゴイことに全11トラックに分かれている。すなわち、1楽章で6トラック、2楽章1トラック、3楽章で4トラックである。何と親切なのだろう。やはり、CDは「好きなときに好きな部分を何度でも聴ける」という特性がある以上、こうしたトラック分けこそなされるべきだ。2011年に当盤の日本国内盤が初発売され、そのライナー(藤井宏氏)が私の当WEBサイトの評価(2003年)と非常に近いので紹介する。「華麗というかきらびやかというか、オーケストラの高度な技術と相まった流麗な響きが特色である」、「『これはショスタコーヴィチではない』という向きもいるかもしれないが、この作品の複雑な内容を整理し、堅実な解釈を施した演奏は、オーケストレーションというものの魅力を余すところなく堪能させてくれるだろう」

コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

1962 BMG/Melodiya

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これを聴かずしてショスタコーヴィチは語れまい。交響曲第4番の作曲から初演までの経緯は数奇な運命であったとしか言えないが、ショスタコーヴィチ自身は4番を封印しても次の交響曲のナンバーを5番したことからも、いつか世に出ることを願っていたのだろう。交響曲第12番の発表直後、ショスタコーヴィチ自身はグリークマンへの書簡で失われた4番をオーケストラで演奏することへの熱望を語っている。モスクワ・フィルに就任したコンドラシンがこの4番初演を担当したことをきっかけに、ショスタコーヴィチとコンドラシンは親交を深め、13番と「ステパン・ラージンの処刑」の初演に至ったことは有名な話だ。4番をこの世に甦らせたコンドラシンの功績は大きい。そして初演とほぼ同時期に録音された当全集盤の充実度は、他と比較できない魅力がある。録音は古く、音も不鮮明で遠いのだが、それでもこの凄み、異様なパワーは何だ!?狂気というようなものではなく、もっと知的な凄みだ。ショスタコーヴィチの世界初の交響曲全集録音とあって、ショスタコーヴィチはこのコンビに全幅の信頼を寄せていたのだと思うが、録音にはまったく関わっていないことは考えにくい。ショスタコの生霊がホール内を漂い、次々と団員に取り憑いていったのではないか。いずれにせよ、この録音が持つ尋常でない雰囲気は他の誰にも真似できないだろう。終楽章の消え入るようなラストは、鳥肌が立つほど瞑想的で美しい。演奏そのものに関しては、コンドラシンとモスクワ・フィルの組み合わせの良い部分が見事に表れている。テンポは速め。ロシアン・ブラスが鋭い音を鳴らし、打楽器は響きの抑えられた強烈な打撃音を聞かせる。特に金属系打楽器の鳴りが凄まじく、1楽章プレストのシンバルの衝撃には驚かされる。これは録音の悪さがあってもなお素晴らしい音色。BMG国内盤も当時は話題になるほど音質が良かったようだが、更に超リマスタ技術が開発されるのを待ちたい。

コンドラシン指揮/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

1971.01.10/Live RCO

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主に70年代の録音を集めたコンセルトヘボウのアンソロジーBOX第4集から1枚目。オーマンディ指揮のシベリウス7番と併録。14枚組みで約1万4000円、まあ安いといえば安いのだが、発売当時はなかなか手が出ずに何度か店頭で逡巡したが、しかし、あのコンドラシンの4番が入っていて、しかも71年コンセルトヘボウ…、「ええい、ままよ!」とレジに持って行った。最初の一音でもうやられる。我々がコンドラシンとコンセルトヘボウのライブに期待するとおりのキレ味の良い音が鳴る。さすがコンドラシン。これだからこそ、我々はコンドラシンが好きなのだ。相変わらずもの凄いテンポで駆け込んでいく、この疾走感は比類ない。録音はあまり良いとは言えないが、メロディヤの全集盤を愛聴してきた我々には、コンドラシンの4番がこれほど明瞭に鳴っている!という不思議な感動をもたらす。バリバリと地割れするような轟音と雷のような鋭いサウンドは、全集盤では得られなかったダイレクトで強烈なもの。演奏は、ときどきよたってアンサンブルが大幅に乱れるところもあり瑕も多いが、圧倒的な迫力、説得力を持った演奏であり、3楽章後半の感動は格別である。

ロジェストヴェンスキー指揮/ソビエト国立文化省交響楽団

1985 BMG/Melodiya

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ロジェストヴェンスキーの4番は2021年時点で5種聴くことができる。他は全てライブ盤(62年フィルハーモニア初演盤、78年ウィーン・フィル盤、81年ボリショイ管盤、87年ソビエト文化省ライブ盤)であり、セッション録音で聴くことができるのはこの全集盤のみ。良くも悪くもロジェストヴェンスキーのライブの魅力は格別だが、セッション録音での硬質で冷たいサウンドもまたソビエト文化省響の苛烈な演奏を伝えるのに適しており、交響曲全曲と多数の管弦楽曲を収めたこのBOXの価値はどのような言葉を尽くしても表現できない。4番は、この曲が世に出てほどなく既にコンドラシンによる超名盤が存在しているので、全てのディスクが後追いになる。本場ソビエトでコンドラシンに次いで交響曲全集を完成させたロジェストヴェンスキーは、全曲をデジタル録音で収録しており、良くも悪くも平らで整った音色になっている。その点がコンドラシンの表現できなかったものを超えてきているのだが、もともと分裂気味なこの曲を交響曲として見事にまとめて届けてくれる。コンドラシン盤に引けを取らぬ圧倒的な名演と言えよう。どこを取っても高水準で、ロジェヴェンの全集中でもトップクラスだ。べったりと強烈な音色を鳴らす金管、切り裂くような木管、一糸乱れぬストレートで統制の効いた弦、明らかに叩きすぎの打楽器、ロジェヴェンのショスタコに望むほとんど多くのものがこの録音で聴ける。中でもプレストの弦楽器のフーガは最高の出来。かなり速めのテンポだが崩壊することなく、凶暴に残酷にそしてクリアに聴かせる。ギャンギャンと金属的な音色だが整っていて美しい。このフーガを越える録音はそうそう現れないだろう。2-3楽章も素晴らしい。ラスト、豪快に不協和音を絶叫。その後に訪れる静寂は感涙である。交響曲で言えば5番以前、若き鬼才といった自信満々のショスタコーヴィチがエネルギーの全てを込めたような挑戦的な作品であり、ここまで強烈に演奏してくれれば、もう言うことはない。

ハイティンク指揮/シカゴ交響楽団

2008.05.08-11,13/Live CSO Resound

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待ちに待ったハイティンクとシカゴ響の4番、期待通りの名盤であった!御年80歳を目前にして、この凄み!年を取って「丸くなったね」と言われるような人物に興味はない。若い頃にさんざん尖っていたのに、歳とともに激しい部分が影を潜め「円熟」とも言える深みを増していくというような構図は、決して好きではない。ハイティンクは全集の名演から30年、さらにパワーアップして4番のディスクを残してくれた。シカゴ交響楽団という最高のパートナーとともに。そもそも、シカゴ響が演奏する4番ってだけでも興奮せずにはいられないが、それにレベルアップしたハイティンクだからな…!これはもう感涙のディスクだ。このダイナミックな演奏!ムラヴィンスキーとはまた違った生真面目な「完璧」主義的演奏は、清々しくもある。ライブ音源だが5日分のテイクをまとめており、セッション録音のような精度で細かな部分までこだわりが見える。音はタイトで引き締まっており、ストイック。全集盤のような冴えた冷たい響きは薄くなっているものの、普遍的とも言える交響曲的な音の混ざり合い、世界観が好き。本当に…。素晴らしい、ハイティンク。

ハイティンク指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

1979.01.17-18 Tower Records/Decca

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私がハイティンク盤を好むのは、高度に洗練された演奏だからである。ショスタコーヴィチ演奏をいわゆる当時の東西に分けるならば、どうしても東側の録音に興味を惹かれるものが多くなるが、しかし4番は最もマーラー的と言われるからこそ、こうした西側の演奏が味わい深い。そつのない手堅い演奏、とか、ロシアン・ブラスが苦手な向きに、とかいうのではない。ハイティンクのそれは、極めてレベルの高い部分での洗練である。決して金管や打楽器の強奏で演奏効果を狙うわけでもなく、細部まで徹底的に研究し構成された見事な演奏だ。スタンダードでの完成度を要求される曲なのだ。とてつもなくスケールの大きい底の厚い演奏で、交響曲作曲家としてのショスタコーヴィチを感じさせる。また、このディスクのそれ以外での大きな魅力が一つ。トラックが五つに分かれている。これはこの曲において重要だ。1楽章と3楽章が長すぎるのでサーチするには時間が掛かる。いつでも聴きたいところから聴ける。素晴らしい。

井上道義指揮/大阪フィルハーモニー管弦楽団

2014.04.04,05/Live Exton

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圧倒的な演奏に打ちのめされる。井上道義の大阪フィル主席指揮者就任ライブにおける2日間の演奏。スゴイ…!!ひと言で言うならば「刺激的」…!!もの凄く刺激的なサウンドがほとばしる一枚。エクストンの録音も素晴らしく、臨場感ある音色が我が家のステレオからもしっかりと届く。最初の一音から、空気を切り裂くような攻撃的な冷たい音色がグサグサと刺さってくる。これは尋常じゃあない、と思って聴き進めていけば、荒れ狂うスピード感と飽和しきった洪水のような音の渦。プレストに雪崩れ込んだときの勢いと、狂気的なテンポは、おそらくこの井上盤を超えるものはないだろう。驚くほどの無鉄砲な、そして無防備なテンポで突っ込んだプレスト!どうなるのよ!と、思ったらこの荒れ狂う音響の濁流を制御するクールな視点がわずかに感じられるギリギリのドライブ。「こういう演奏を聴きたかったんだ」と思わされる一枚にして素晴らしいショスタコーヴィチ像を提示したディスク。しかし、井上道義といえば『ショスタコーヴィチ大研究』(春秋社)で「ショスタコーヴィチを解毒する」というタイトルの序文の中で、次のような言葉を寄せた男である。「四番はそのあまりにエゴイスティックな音楽の服装がいくらタコ好きな私もくさくて近づきたくない。いくら才能が大きくても、もろにみせつけ、ひけらかされれば僭越ながら私、降ります」と。その後、井上道義にどのような変化があったのか知る由もないが、その音楽的な才能を全開に輝かせてエゴイスティックな服装をまとった4番に挑んだわけだ(なお、この井上の4番へのコメントは私は結構好きだ)。日比谷公会堂での全曲演奏における、暴力的な(または防波堤が決壊するような)危うい演奏に比べると重心を下げてどっしりと構えた演奏で、技術も表現も実に味わい深い。もしこんな演奏を生で聴くことができたなら、きっと幸せだろう。エクストンという世界屈指のレーベルの力を信じて、このディスクは必携であると伝えたい。この切り込み具合、他にはない。

スラドコフスキー指揮/タタールスタン国立交響楽団

2016 Melodiya

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2010年代にあって非常に興味深い演奏であるスラドコフスキー全集から。同時期の協奏曲全集はもっと洗練された演奏なのだが、交響曲は原色バリバリの挑戦的なサウンドで、技術的に不安定ながら凄まじい音響でショスタコーヴィチの魅力を届けてくれる。これでいくのか!?という速めのテンポ設定で意欲的な姿勢。この曲はこれぐらいハチャメチャなカオスでいいのだ。4番は1楽章冒頭の数小節でいきなり音響的なピークがやって来るが、スラドコスキーのこの爆発力よ!乾いた木琴にヒステリックな木管、ガリガリと弾き込む力強い弦楽器、スネアの装飾分音符(装飾なのに大音量)からの大太鼓の嵌まり具合も良く、尋常ならざるこの演奏のエネルギーを開始わずか数秒で感じることができる。スラドコフスキーにしては全体的に駆け込むような前のめりのテンポで、この長大な曲を弛緩することなく奏でる。スラドコフスキーとタタールスタン響の演奏は粗削りで、同じ2010年代のペトレンコ、ザンデルリンクといった優等生的な全集とは一線を画す。もちろんタタールスタン響に期待するのは世界の名門オケのような芳醇な響きではない。そんなことはお構いなしに「どうだ!」と言わんばかりの強引な説得力がある。そもそも4番とはそれでいいのではないか。紆余曲折あってコンドラシンによる初演は、既にショスタコーヴィチが大御所となった1960年代だが、そもそもこれはソビエトという国がナショナリズムを形成していく戦前の当時、若き作曲家が自らの才能をひけらかすかのような大人げない過度に装飾的な交響曲だったのではないか、そんなことを考えてみると、現代の技術的に高水準のオーケストラが円やかに綺麗に演奏したところで、面白いのか。3楽章のふざけているような軽音楽風のメドレーも、チープでくたびれたサウンドがよく似合う、というよりこれだ。あえて、「4番とはこいうものだ」という姿を見せてくれた名盤である。スラドコフスキー全集の白眉にして、ショスタコ4番の演奏史上も外せない必携の一枚である。

N.ヤルヴィ指揮/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

1989.02.05-09 Chandos

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スコティッシュ管の鋭角的なサウンド、ヤルヴィの爽快なまでのテンポ感、リズム感は、4番でも存分に発揮されている。録音が良く、オケもこの高速テンポであるにもかかわらずとても安定している。むしろこのスピード感を楽しみながらドライブしている。3楽章は24分台での演奏だ。ヤルヴィらしく金管や打楽器の強奏も耳に心地良いもので、まったく煩くない。ショスタコーヴィチが政治に囚われる前の30歳の若き情熱が表れているような、清々しささえ感じられる演奏である。打楽器は相変わらず素晴らしく、ティンパニから各種の小物楽器まで、強引なそぶりなく軽そうなのにしっかりと主張してくる。

ビシュコフ指揮/ケルンWDR交響楽団

2005.09.19-23 WDR/Avie

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ビシュコフのこれまでのショスタコーヴィチは、丹念に演奏されているものの今一つこれといった魅力がなかったのだが、この4番はゆうに過去の演奏を超えてしまった。いやしかし、4番がこうなるという兆しはあったのだ。当ディスクの録音に先駆けて、このコンビは9月16日にライブを行っている。R盤で聴くことができるが、それが素晴らしかった。そして、いよいよセッション録音盤の登場だったのである。CDを聴きながら、思わずぽかんとしてしまった。「これはスゴイ…!」と。まず、SACDだからというのはあるが細部まで音像がしっかりしている。ティンパニのこのクリアさは奇跡的だ。隣で聴いているようだ。ロジェストヴェンスキーの全集盤のような硬質な音というわけでもないのに、ツブ立ちがしっかりしてる。テンポが遅いところでしっかり叩き分けているから、というのもあるかもしれない。それにしてもこの圧倒的な音響の中に埋没しないというのは特筆すべきだろう。ライブ後にクールダウンしてから録り直したというのも、この演奏に大きな効果を上げている。ライブでは散漫になっていたり雑になっていたところも、冷静に丹念に演奏されている。これって実はすごい理想的な状態なんじゃなかろうか。ライブの爆発的なパワーを内包したセッション録音。ライブだっていきなり演奏したわけじゃなかろうし、十分なリハーサルで4番のライブに臨み、しかもその後すぐに4日間掛けてセッション録音。ううむ。これはボリュームを下げていても聴けるし、上げればさらに充実するし、何とも優秀なディスクである。

M.ザンデルリンク指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

2019.01.12-18 Sony

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ザンデルリンクの交響曲全集、2019年初頭に3番、4番、14番が録音され、ついにフィナーレ。数々の録音の中には、比較的小型の交響曲をきちっと仕上げて隙のない演奏をするタイプもあれば、大型の交響曲を壮大かつ感情的に広げて見せるタイプもある。当全集はそのようなカテゴライズをする必要もなく、堅実に全15曲を渋い響きで仕上げられている。ザンデルリンクの4番は、この全集の血脈の中で、実に充実した響きを聴かせてくれる。素晴らしいバランス。この複雑な難曲でありながら、オーケストラの統制が執れた素晴らしい一枚なのである。1楽章のプレストはこの曲の大一番だが、速めのテンポで突入したかと思えば、打楽器の連打からのアッチェルである!そしてコントロールされている。そして怒涛の全奏からのリタルダンドである。このカオスをダイナミックに演出した表現。全編にわたって、弦楽器を中心にギシギシと密度の高い演奏を繰り広げており、とても格好良い。3楽章に現われる牧歌的な主題など、とても良い音色です。ここぞ、というときにソビエト勢の指揮者や井上道義のような突き抜けた表現はないものの、スタジオ録音盤としては充実の満足度。なお、あまり注目されないかもしれないが、4番は打楽器のウッドブロックが大活躍する。15番と同様に(こうした打楽器は「小物」と業界では呼ばれるが、別段大物とか小物とかという身分的な差はない。楽器の身なりが小さいので小物、と)。そしてウッドブロックの宿命的な使命の一つに、スネアとのバランスがある。4番はプレストでスネアとユニゾンするだけでなく、随所で印象的なスネアとの共演があるが、このウッドブロックのスネアとの共演はとても素晴らしくて、ドレスデン・フィルの深めのスネア音に対して適切な鋭さと明るさと高さをもって寄り添い続ける。ウッドブロック奏者の名前も記したいほどの名演である。

ネルソンス指揮/ボストン交響楽団

2018.03-04/Live Deutsche Grammophon

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10番を皮切りに、交響曲全曲録音のプロジェクトを開始したネルソンス。惜しみなく複数曲を組み合わせていくスタイルに感動を覚えるが、当盤は何と4番と11番である。え!?ショスタコーヴィチの4番と11番が2枚組!!ショスタコーヴィチの最も好きな交響曲は…、と問われれば、4番か11番かで迷う向きも多かろう(本当に?)。そんな贅沢なディスクである。まずは4番のレビューだが、素晴らしい録音、音響。キラキラ系の4番である。4番はスラットキンを一番に挙げている当サイトだが、キラキラ系の4番は美しくて華麗。ボストン響の素晴らしい技術に支えられて、4番の真髄を味わうことができる一枚。やはり4番とはこうあるべきよな、と思わされる圧倒的なディスクです。個人的には、スタジオ録音に非常に大きな価値があると思っている。ライブはライブでしか味わえないものがあり、CDでそれを再現することは不可能。こうして家でCDで再生するならば、やはりスタジオ録音盤を隅々まで堪能したいというもの。このネルソンスの演奏は、ライブ録音からの編集ということだが、ここまで素晴らしい録音状態と、客席ノイズのない編集(拍手もない)は、従来の「ライブ録音」とはまるで異なる世界。このディスクで私がどうしても推したいのは、ボストン響の統制の取れた素晴らしい演奏技術。全くもって不安がない演奏。それがショスタコには不向きだと言えばそれまでで、危なっかしさや不安定さがない。キツそうだな~、という感じも全然ない。演奏技術的に、あまりにも余裕。ショスタコって、こんなにも余裕のある演奏ができるんだ、という。抑制の効いた秀才肌の演奏に仕上がっていると感じた。思い込みというか偏見というか、DGというのも優等生らしい印象。しかし4番にはこのような演奏がとても良くに似合うと思っている。ソビエト勢のアクの強さも好きだが、アメリカのオーケストラのこの爽快さよ!さて、ネルソンスの全曲録音はまだまだ続くが、果たしてこの4番を超える演奏は現れるのか…!(というか、2番とか3番もやってくれるのか…!)

アシュケナージ指揮/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

1989.01 London/Decca

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アシュケナージの交響曲録音の中で最高峰と言っていいだろう。スマートな曲解釈で、複雑さよりも勢いとスピード感の中で流麗に聴かせる。全体的に速めのテンポ設定で、ロイヤル・フィルの豪華なサウンドが炸裂する。強奏部の金管と打楽器が申し分ないが、全体的に丁寧な作りで細部まで聴かせるデッカの録音も素晴らしい。打楽器はいずれも好演。スネアもティンパニも十分に鳴らしているし、音色も良い。1楽章プレストは、弦がやや不安定なものの、金管や打楽器のフォルテシモはなかなか聴かせる。ウッドブロックとスネアのバランスはかなり良い。そしてハイティンク盤同様、このCDも1楽章のトラックが五つに分かれている!4番はこうあってほしいです。なお、アシュケナージは2006年にNHK交響楽団と同曲を録り直し、全集には後者をラインナップしている。しかしながら、ロイヤル・フィル盤以上にN響盤を取る理由が見つからない。

ネゼ=セガン指揮/ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

2016.12/Live Deutsche Grammophon

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ネゼ=セガン就任10周年、ロッテルダム・フィル創立100周年を記念して発売されたライブ録音集6枚組から1枚目。モントリオール出身の指揮者でデュトワに影響を受けたという若い指揮者だが、そのサッパリとした造形には確かな巧緻性があり、ところどころでしっかりと歌い込むものの必要以上の重さや癖は感じられない。ライブ録音だが実に冷静で、感情任せなところもない。ソ連勢の伝統的な演奏とは一線を画し、スラットキン以降の流麗な構築美を感じさせる系譜にあるが派手さや豪華さはなく、指揮者独自のショスタコーヴィチへのアプローチなのだろう、小ぢんまりと内側にまとまっていくかのような小宇宙的演奏。3楽章が特に素晴らしい。分裂的で多彩、原色がごちゃ混ぜになったカオス的な音楽が整理されており、無理のない説得力がある。薄くはないが厚すぎないエッジの立ったサウンドが良い。トラックは1楽章はプレストで、3楽章はアレグロで切れている(こうして聴くと2楽章を中心に前後二つずつの楽章を持った5楽章の交響曲のようだ)。ネゼ=セガンはこのCDでしか知らないが、名盤に出会えた。この演奏を収録したドキュメンタリーのDVDも出ている。

ウィグレスワース指揮/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

2005.09 BIS

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ウィグレスワースは1番から4番までの初期交響曲を、まるで後期交響曲のような雰囲気で仕上げており、この一貫した世界観がとても好きだ。高音質で細部まで明瞭に聴き取ることのできるウィグレスワース全集。珍しいウッドブロックのトレモロをここまで正確にニュアンスを届けてくれるディスクはそうないのではないか。ウィグレスワース全集はどこか暗く冷たい客観的な響きが特徴だが、意外にも4番は金管やティンパニなどに雑な響きも見受けられ、却って生々しい演奏に仕上がっている。分厚い録音による音響効果が凄まじく、このカオス的音楽によく合っている。各楽器が混ざり合ってとてつもないレベルで強奏する4番において、それでも細部が聴こえてくるこの音質。ダイナミクスレンジが広すぎてピアノが聴こえない(というかピアノ時に音量を上げるとフォルテ時に大変なことになる)のは、やはり純粋に一般家庭での鑑賞には適さないのではないかと思う。

ヤンソンス指揮/バイエルン放送交響楽団

2004.02.09-12 EMI

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2004年から2005年に収録されたヤンソンス全集の後半戦を代表する名盤と言っていい。どこか特徴に欠け、たまに個性的な面が出るとあまりプラスには思われないヤンソンス全集の中で、このドストレートな真面目な演奏がバイエルン放送響の豊かな響きと相俟って格別に美しい。とは言ってもその華美な装飾的表現で着飾るようなスラットキン盤とは異なり、非常に地味。地味だが端正。じっくりと丁寧に、バランス良く演奏したらこうなった、という。ショスタコーヴィチの4番という狂気的で分裂的な音楽を丹念に作り上げた演奏で非常に好感が持てる。素晴らしい。なお、このディスクはロンドン・フィルとの「馬あぶ」のロマンスと定期市を収録しており、こちらも厚みのある美しい演奏。

ロジェストヴェンスキー指揮/フィルハーモニア管弦楽団

1962.09.07/Live BBC

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ロジェヴェン様の4番はこの時点で完成しているのです。ロジェストヴェンスキーの4番は2022年時点で6種聴くことができるが、基本的なアプローチはいずれも変わらない。最初から最後まで「ロジェストヴェンスキーのショスタコーヴィチ」と言える。既出ディスクの中では最も古い録音で、唯一作曲家存命中の演奏。「西側初演」との表記があり、ショスタコーヴィチは客席で演奏を聴いていたとのこと。キューバ危機の前月なので、当時、東西の緊張感は高まっており、そのような中でも精力的に活動していることに敬意を表する。当時のヨーロッパにおける東西冷戦の一市民の思いは想像も及ばないが、西側の一般市民は、この史上最後のシンフォニストに酔いしれたのか、いや、60年代ってもうロックの時代だよね、ということなのか。さて、4番は大規模なオーケストレーションによる凄まじい音響が魅力ではあるが、その合間にときどき顔を出す可愛らしさ、1-3番に続く若き天才の「どうだ!」と言わんばかりの自信過剰な表層的な派手派手しさも見逃せない。そして、ロジェヴェン先生はそういうところを聴かせるのが抜群に上手い。深刻になりすぎず、ユーモアはユーモアとして表現する。当ディスクは決してベストなコンディションでのライブではなかったのだろうが、この緊張感と熱気は他に代え難いものがある。残念ながら録音状態は当時のライブとしても良いとは言えず、せっかくの初演の瑞々しさは感じられない。しかしこの乾いた音色は、まさに直球。ズシンと胸のど真ん中に投げられた感じ。血、吐きそう。ところで、DVD『ソヴィエト・エコーズ』には、ショスタコーヴィチがロジェストヴェンスキーの「鼻」のリハーサルを客席で聴いている様子が動画で収められているが、この4番もきっとリハーサルのときにそわそわしながら客席をうろつきつつ、ときどきロジェヴェンに注文を出していたのだろうな、と想像してしまう。そうして作り上げられた演奏なのかと思うと、感動も一入だ。

ロジェストヴェンスキー指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1978.04.16/Live Cincin

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ウィーン・フィルとのムジークフェラインザールでのライブとされるディスク。イタリア製のようだが、あまり聞かれないレーベルで、私は当盤の他にはコンドラシンとNDRのマーラー1番しか所有していないと思う。ロジェストヴェンスキーとウィーン・フィルの組み合わせが意外としか言いようがないのだが、演奏を聴いてみるとロジェヴェンそのもの。これがウィーン・フィルのサウンドなのだとしたら、この伝統のオケがすっかりロジェヴェンの赤い指揮棒で豊かな表現力を発揮してしまっている名演なのである。バランスが良く技術的にも安定しており、録音さえ良ければ、と悔やまれる。ソビエト文化省響の録音に比べれば、細かなところまで実に丁寧かつ安定した演奏であり、曲想やテンポの変化に自在に対応していく様子は見事としか言いようがない。

コンドラシン指揮/シュターツカペレ・ドレスデン

1963.02.23/Live Profil/Haenssler

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東ドイツ初演ライブの録音。2021年時点で4種(世界初演ライブ盤、全集盤、東ドイツ初演盤、RCO盤)聴くことのできるコンドラシンの4番だが、解釈は驚くほど同じであり、つまり初演時から確立していたことがわかる。60年代前半のドイツ・オケとショスタコーヴィチの相性が良いのかはわからないが、名門シュターツカペレ・ドレスデンのサウンドは、技術的には劣るであろうモスクワ・フィルと比べてももっさりしており、違和感がある。この違和感は、「コンドラシンの4番」というある種の神格化による先入観の結果かもしれない。このディスクは高く評価されており、4種の中で最も好きだという意見も聞く。テンポ的にはコンドラシンらしくて、全曲を59分で演奏している。もたつくような感じはないが、このもっさり感はやはりサウンドか。

井上道義指揮/東京フィルハーモニー交響楽団

2007.12.01/Live Octavia

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日比谷公会堂での交響曲全曲演奏プロジェクト後半戦となる12月初の公演。凄まじいカオス、それがこの4番の印象なのであるが、まさにそのカオスを下手にこねくり回さずに、どうだ!とばかりに聴かせる粗野なサウンド。後年の大阪フィルとのディスクのコメントでも触れたが、『ショスタコーヴィチ大研究』(春秋社)の序文に寄せた「エゴイスティックな音楽の服装」をみせつけ、ひけらかすかのように、テンポもアンサンブルも乱れながら、それでもなおギラギラとエゴな輝きを見せる。飽和、というよりも、とうに限界を迎えてもそれを知らずに突き抜けようとするような迫力。これはもうオーバーヒートである。個人的な好みから言えば、現代のプロ・オーケストラが演奏するならば4番はもう少し綺麗に聴きたい(大阪フィル盤ではさらに進化した演奏を聴くことができる)。本公演はTV放送されているので、1楽章プレストはぜひ映像で見るべき。2楽章は日比谷のデッドな響きによってとても格好良い仕上がり。

V.ペトレンコ指揮/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

2013.02.09-10 Naxos

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優等生的な軽くハキハキとしたサウンドで、細部まで整った演奏。4番の派手な装飾を意識せず、真摯にスコアに向かっており、地味と言えば地味だが、非の打ちどころのないほど安定している。それでいて表面的でそつなくこなしているということもなく、この目まぐるしく巨大な交響曲を色彩豊かに、そして情熱的に細部まで無駄なく聴かせてくれる。

キタエンコ指揮/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

2003.02.07-11/Live Capriccio

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数日におよぶライブの録音を編集したディスク。初のSACDによる全集であり、その録音の良さ、クリアで細部まで透けて見えるような繊細さと奥行き、重く広がる音色に感動を覚える。全集を1番から聴き進め、その迫真の演奏に魅了されるが、問題作の4番も期待に違わぬ立派な演奏。オケのアンサンブル能力と燃焼度が高いのが魅力的。テンポも崩れることなく安心して聴ける。この安定したテンポ、リズムはキタエンコ全集の特徴であろう。1楽章プレストも決して遅いテンポではないが、しっかりと噛み合っている。スネアが炸裂する打楽器ソロも素晴らしく、ころころと色を変えるこの曲に相応しく、場面ごとにしっかりとチャンネルを切り替えるコントロールはさすが。2楽章の件のリズムは低弦が効いており格好良い。最も充実しているのは3楽章で、深い弦の音色と煌びやかな管楽器が美しい。ピアニシモの情緒がもう少し欲しいところではあるが、このオケの重量感あるサウンド、只者ではない。

ロストロポーヴィチ指揮/ロンドン交響楽団

1998.02.26/Live Andante

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ロストロポーヴィチとロンドン響のショスタコーヴィチ・フェスティバル・ライブの3枚組CD。4番初稿の断片とされる「断章、アダージョ」をロストロポーヴィチのコメント付きで収録。3枚目はロストロポーヴィチのインタビュー。全集盤と比べてオケが各段に良い。ロンドン響の華やかで充実した響きが美しい。厚いブックレットと一体化した豪華なケースに入っている。特筆すべきは、ロンドン響の打楽器の音響的快感の凄まじいこと。プレストの大音響は、そのまま音の洪水に飲まれたい。しかし公平に聴いて、物足りないところもある。ロストロポーヴィチはショスタコーヴィチと同時代を生きた音楽家として、主観的な表現が目立つが、それが冗長だったり蛇足だったりもする。

ケーゲル指揮/ライプツィヒ放送交響楽団

1969.05.20/Live Weitblick

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東ドイツの指揮者ケーゲルは、やはり重要なショスタコ指揮者の一人であった。その録音がこうして聴けるようになったのは最近のことだが、これからもどんどん世に出ることを願いたい。私にとってはこの選集盤(4,5,6,9,11,14,15番)を聴くまでは「ステパン・ラージンの処刑」の名盤が印象深かったが、ヴァイトブリックから八つの交響曲がリリースされたことは、ショスタコーヴィチの音盤史においても重要なことだった。ケーゲルのショスタコーヴィチは、ドイツ・オケの響きでありながらそれでいて実にショスタコらしい。乾いた硬質な響きは録音年の問題かもしれないが、時折レニングラード・フィルを彷彿とさせる冷酷な音を出す。金管や打楽器が咆哮し炸裂するタイプの演奏とは異なる。もっと冷たい。弦楽器の激しい弾き込みが魅力的だ。低弦から高弦までガシガシと地を揺るがすような激しい轟音を響かせる。この4番の録音にそれは顕著で、アンサンブルが多少乱れはするものの、圧倒的な存在感を示す。もちろん、管楽器と打楽器も負けてはおらず、やや細い響きではあるが、トランペットを中心によ存在感がある。打楽器はティンパニが健闘。ケーゲルの選集全体に言えることでもあるが、録音状態からか金属系打楽器があまり綺麗に鳴らない。鍵盤も薄い。それでも風格はある。ピリッと張り詰めた堅い空気と緊張感は、ケーゲルならではだろう。小綺麗で「現代的」と言われる演奏が多い印象のある4番だが(私もその代表格であるスラットキン盤を推すわけだが)、こうして不安や恐怖感を駆り立てる演奏は孤高の境地にある。ところで、69年の録音ということは、初演からそう離れてはいない。11番にしても初演直後の録音であるし、ケーゲルのショスタコへの関心が大きかったことが伺える。

コフマン指揮/ボン・ベートーヴェン管弦楽団

2006.03.07-09 MDG

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コフマン全集特有の音の薄さが切れ味となって、4番という複雑で巨大な曲をシンプルに聴かせる。明瞭なサウンド、録音の良さもあって、分厚く色を塗り重ねない表現がとても良い。メリハリが効いており、時に破裂音のような強烈な音色を聴くことができる。1楽章フーガは意外にも乱暴なまでの速度とヒステリックな強奏で、スネアがこの薄めのオケのバランスを超えてくる。インチの大きな銅鑼の深い音色も良い。3楽章がアレグロからトラックが分かれている。

ボレイコ指揮/シュトゥットガルト放送交響楽団

2006.04.27-28/Live Haenssler

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ショスタコーヴィチばかり聴いてるとドイツの放送オケに疎くなる(ような気がする)が、SWRっていうのはとても良い音色です。決して濁っているわけではないのに、こう、ボスッと沈むような重量感ある音色が素晴らしい(これが「深い音」ってやつか…!)というわけで、深い音のするショスタコーヴィチの4番である。この曲に関しては特にそう思うが、ソビエトのある種の暗さ、残酷な背景などを全て取っ払って、普通にサラッと演奏してみると実はとても聴きやすい名曲なのではないか、と。2000年代以降、もう4番にまつわる不穏な歴史も抜きにしていいんじゃないかというアプローチが主流になりつつある今、このボレイコ盤は、こざっぱりとしており何とも清々しいのである。3楽章のラストなどは、これまで「ショスタコーヴィチの4番とはこういう曲なのだ」と凝り固まっていた先入観を解いてくれ、新たな感動を味わえる。オケは技術的にも素晴らしく、細部まで丁寧。安定感のある(ありすぎる)テンポ感が緊張感を殺ぐのは惜しいが、そもそもそういう発想そのものが聴き手としてもう古いのだろう。打楽器に関しては、スネアの装飾音など実にサッパリしたもので、職人的な技術が光る。星矢が泥臭くペガサス流星拳を繰り出すような演奏ではなく、アイオリアが目を閉じたままふわりとライトニングボルトを放つような、力は抜けているけれど強烈な音がバシバシと鳴る。

ロジェストヴェンスキー指揮/ボリショイ劇場管弦楽団

1981.03.28/Live Russian Disc

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贅肉のない引き締まった鋭いサウンド。それでいてこの力強さ。シャープで硬質、時に耳に痛いほどの強引かつ強烈な力業には惚れ惚れするというか、恐れ入るというか、この若書きの長大な交響曲を暴力的に駆け抜ける演奏は、ロジェストヴェンスキーとボリショイ管の魅力が存分に発揮されたと言える。ライブゆえの不安定さ、そして瑕も多く、安定しない打楽器のバランスは気になる。

ロジェストヴェンスキー指揮/ソビエト国立文化省交響楽団

1987.05.24/Live Brilliant

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ソビエト文化省響のライブ録音!ソビ文ファンとしては堪らない一枚であるのと同時に、ライブゆえの「まさか!」があちこちで起こる超強烈な一枚なのである。とりあえず先に言いたいが、1楽章のフーガでスネアが入り損ね、ウッドブロックは鳴らず、テンポは乱れ、シンバルは楽譜の彼方でどこを叩いているのだ、というカオス。よく止まらずにあのプレストを脱したものだが、ロジェヴェンとソビ文のライブとあって、激烈な金管や親の仇と言わんばかりの弾き込みの弦楽器の猛攻の中、しっかりと落ちたり間違えたりするオケの不思議な説得力と言ったらない。ティンパニはまるでトムトム。それでも一曲として成立しているのだから、この有無を言わせぬ魅力は何なのだろう。

ロジェストヴェンスキー指揮/BBC交響楽団

1978.09.09/Live ica

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2022年初出CD。4番と11番のカップリングなんて!という素晴らしいディスク。2022年時点で6種聴くことのできるロジェストヴェンスキーの4番だが、2番目に古い録音で、1962年フィルハーモニアとの西側初演に次ぐもの。4番は以前にDVDでリリースされていたがモノラル音源だったため、ステレオ音源かつCD化ということで、音質の向上を果たしている。BBC響の安定感あるサウンドが魅力的な一方で、ソビエト文化省響はじめ他のディスクで聴かれるような破天荒さはなく、このバランスの良さがロジェヴェンにしては何とも大人しい印象になっている。

ノセダ指揮/ロンドン交響楽団

2018.11.01,04/Live LSO

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ノセダは、あまり聞き慣れないカスティーリャ・イ・レオン交響楽団、カダケス管弦楽団というスペイン・オケの合同オケと4番を録音しており、これは二つ目。整然とした演奏でオケも技術的に申し分ないのだが、ライブ録音であることに気付かないほど淡泊で、現代の高水準なオケがこうもいとも簡単に整然と演奏してしまうと、面白みがない。さすがだとしか言いようがないのも事実であるが…。こうして聴いてみると、4番はショスタコーヴィチの若書きから来る支離滅裂でごちゃ混ぜのカオスと、高難易度のスコアに挑むオーケストラの格闘がある意味では面白かったのだな、と思わされる。

ラトル指揮/バーミンガム市交響楽団

1994.07 EMI

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90年代半ばの西側のスタジオ録音で、このような演奏が聴けるとは。まだ4番の録音が今ほど出回っていなかった頃、ラトルがEMIで録音した当盤の存在価値は大きい。隅々まで丁寧にスコアを再現している。録音状態も良く、バーミンガム市響の軽やかなで鮮明なサウンドが再現されている。バランス感覚もほとんど非の打ちどころがない。各楽器、いずれも突出することなく、全体の響きとして美しく仕上げている。4番の凶暴性を客観的に捉えて精密に組み上げていく様は、鳥肌が立つ。特に、速めのテンポでぐいぐいと引っ張っていく3楽章の強奏部は、金管の鋭い鳴りと流れるような弦の響きに圧倒され、その快速ドライブに聴き入ってしまう。

バルシャイ指揮/ブンデス・ユーゲント管弦楽団

1992.08.15/Live Harmonia Mundi

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若々しい覇気にあふれたライブ演奏で、尖ったサウンドが特徴的。ブンデス・ユーゲントは十分に高水準な国立青少年オケであり、バリバリと凄まじい音を鳴らしてくれる。録音は妙にしゃりしゃりとしており、オケの鋭角的なサウンドには合うが、軽い。全集のWDRが(もちろんプロの名門オケだが)渋くて硬質な抜群のサウンドであったことを考えると、やはりバルシャイの理知的なイメージとは異なるもので、バルシャイの音楽的表現が存分に発揮された演奏とは感じられない。青少年オケのお披露目というコンセプトもあるだろう。ライナーにはオーケストラの写真が2点掲載されているが、(当然ながら)皆とても若い。選ばれし天才たちなのだろう。

バルシャイ指揮/ケルンWDR交響楽団

1996.04.16,24,10.24 Brilliant

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丁寧すぎるぐらいの精緻性を感じる秀演。バルシャイのショスタコーヴィチ作品への取り組みの姿勢を伺える。確実に着実に必要な音を鳴らしている。WDRの渋くて硬質な響きが4番にも合っている。この曲に爆裂系の響きを求める向きには薦められないが、バルシャイの全集を1番から15番まで通して聴いたときにその存在感が改めて心に沁みる一枚。

ヘルビヒ指揮/ザールブリュッケン放送交響楽団

2005 Berlin

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録音やオーケストラの機能性が抜群に高いということはないが、2000年代以降の妙にすっきりとまとまった技術的に優れた4番と比べると、生々しさにあふれた演奏で、有無を言わせぬ迫力と説得力がある。やや雑に感じられるような箇所もあるものの、雷鳴のような激しいサウンドと、速めのテンポの中で駆け巡るドライブ感が素晴らしい。2楽章のスピード感も良い。4番は「マクベス夫人」の頃の混沌的作品であり、こういうスタイルはとても4番らしいと個人的には感じる。

M.ショスタコーヴィチ指揮/プラハ交響楽団

1998.02.03-04/Live Supraphon

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丹念に仕上げた演奏で、この分裂的に巨大に膨れ上がった若気の至りのような交響曲がよくコントロールされている。マクシムの全集の中では2-3番のような爆発的な迫力には欠けるものの、技術的には世界的オケには遠く及ばないプラハ響を率いて、ここまでの充実した演奏はさすがマクシムであるとしか言いようがない。丁寧さが感じられる一方で、もちろんマクシムというのは無難な演奏をするタイプの指揮者ではないので、強奏部はガツッと鳴らしてくれる。それに、通しで聴けばやはり3楽章のラストは感動してしまう。打楽器はいずれも好演。録音のせいなのか楽器のせいなのか、響きが安っぽいのはこの全集に共通することだが。

タバコフ指揮/ブルガリア国立放送交響楽団

2013.04 Gega New

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両端楽章よりも2楽章に魅力を感じる一枚。1楽章と3楽章がパワー不足な中で、2楽章を堅実に、そして渋みあふれるサウンドで演奏している。リズムも良い。3楽章も散漫にならずに、一つ一つのフレーズがしっくりと収まる。サウンドは地味だが収まりが良い、という印象。タバコフ全集が全体的に技術不足なのは否めないが、それを補って余りある魅力があるかどうか、というのがポイントであろう。この4番から始まった全集録音へのエネルギーは凄まじいものがあり、短期間で同指揮者・同オーケストラで1番から15番を録音したという偉業は賞賛されるべきだ。軋むような弦の鳴りが良い。

シモノフ指揮/ベルギー国立管弦楽団

1996.02.16-18/Live Cypres

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ミンミン唸る響きの細い金管群が印象的。オケは重量感ある渋いサウンドで、パワー不足も否めないが丹念に取り組んだ充実した演奏。3日間のライブ録音からの編集。1楽章フーガのテンポは遅めだが、ゴツゴツした響きとドライブ感は抜群。シモノフは豪快で大振りな指揮が映像で見ると魅力的だが、意外にも曲作りは繊細かつ丁寧であることがわかる。

ラザレフ指揮/日本フィルハーモニー交響楽団

2014.10.24-25/Live Exton

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エクストンのラザレフと日フィルによるシリーズは、重くなりすぎない軽めで切れ味のある明るいサウンドが魅力的で、テンポ設定も速く勢いのある演奏になっているが、4番はそれが裏目に出ているか。軽くてふわりとした重心のない演奏が、どこか所在なく浮いている。一方で、この分裂的な曲を所在ないサウンドで奏でると3楽章の軽音楽風の(ある種の不気味さを持った)遊園地的音楽が面白くなる。スネアがラザレフの他の演奏ほど鳴ってこないが、大太鼓の存在感が凄まじいことに。

シナイスキー指揮/BBCフィルハーモニック

2000.6.20/Live BBC Music Magazine

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イギリスの雑誌「BBC Music」の付録(メイン?)CD。煌びやかで爽やか、何とも清々しいショスタコらしくない演奏。しかし、この軽いサウンドがなぜか妙に世界観を作り出しており、こういう聴かせ方もあったのか、と納得してしまう。

カエターニ指揮/ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団

2004.03/Live Arts

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断章付き。この明るくて軽やかなサウンドは素晴らしい。カエターニはイーゴリ・マルケヴィチの息子だが、母親はイタリア人、スイス生まれという背景を持つ。ヴェルディ響は新しいオケだが、シャイーによって鍛えられた明るいサウンドが魅力的のイタリア・オケ。イタリアだから明るくて陽気なサウンド、というのもあまりにも典型的な見方だが、事実、明るくて抜けの良い明瞭なサウンドを持つ。一方、音が軽いので、重厚でドロドロした演奏を求める向きには合わないだろう。クレッシェンドの持っていき方、高音の鳴らし方と、ハッとさせられるような派手な表現もある。サスペンデッド・シンバルも素晴らしい。ライブ録音。拍手あり。

バレザ指揮/クロアチア放送交響楽団

2000.04.27/Live ORFEJ

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バレザはユーゴスラビアの指揮者。クロアチア放送響は、世界的オケには技術的には及ばないだろうが、このライブの異様なまでの熱気、狂気には驚愕する。切り裂くような強烈なサウンドで、この難曲を前にして技術的な障壁をこうも乗り切ってしまう精神の力強さを感じる。それにしても、これは2000年の演奏だが、ユーゴスラビアとクロアチアはその歴史とソ連を切り離すことができないだろう。そのような中で音楽を通じた芸術活動の意義を感じずにはいられない。

サロネン指揮/ロサンゼルス・フィルハーモニック

2011.12/Live Deutsche Grammophon

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未完のオペラ「オランゴ」の世界初録音と共に収録されたサロネンによる4番。未発表曲ということで「オランゴ」が話題になったが(主人公は科学実験で生まれた人間と猿のハイブリッドというとんでもないオペラ)、この4番も素晴らしい録音で厚みのある演奏である。サロネンの決して熱くなるまいというどこか斜に構えたような客観的で乾いた演奏と、オケとホール(ディズニー・コンサートホール)、録音の素晴らしさによる豊かな響きが良い効果を表している。一方、この客観的な演奏は刺激がないとも言える。このディスクはやはり「オランゴ」を聴くものか。

オーマンディ指揮/フィラデルフィア管弦楽団

1963.02.17 Sony

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1963年、初演から間もない頃のアメリカでのセッション録音。同時期のコンドラシンやロジェストヴェンスキーがあのような録音状態で聴くことができないと考えれば、とても良い環境で録音されたものとわかる。不思議な明瞭感のある演奏で、録音の古さと硬さが一層に作用して他には聴けない特殊な4番を形作っている。演奏そのものは非常に充実したもので密度が高いが、この全体に漂う軽さというか硬さというか、謎の爽やかなスピード感があって、ぐっと沈み込む暗さや深さ、冷たさとは違う別の性格が引き立っている。

アシュケナージ指揮/NHK交響楽団

2006.03.08-09/Live Decca

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アシュケナージとN響のサントリーホールでのライブ録音。全集にはロイヤル・フィル盤ではなくこちらが採用されており、ライナーによればアシュケナージの強い要望だったという。2007年の発売当時、私はまだ20代で局所的な聴き方しかできない偏った好みの持ち主だったのだろう、なぜロイヤル・フィル盤を採用しないのかと憤ったものだ。今ではN響盤の良さもわかってくるから不思議なもので、実に整った良演なのである。技術的にも世界の名だたるオーケストラと比肩するだろう。アシュケナージ70歳の円熟した演奏で、その落ち着きぶりはこの曲に苛烈な響きを求めるとあまりに退屈だが、随所にキラリと光る美しさがある。

ロストロポーヴィチ指揮/ワシントン・ナショナル交響楽団

1992.02 Warner/Teldec

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ロストロポーヴィチの全集の評価は、ちょっと困ってしまう。ショスタコーヴィチの間近にいた人物なので、その解釈には興味津々なのだが、指揮者としては「ロストロポーヴィチの世界」とでも言うべき独自性が強くてなかなかチャンネルが合わない。オケも貧弱で、作業のように縦線を合わせていくようなテンポ感には違和感がある。個人的な好みからすれば、この4番は全体を聴いてそれほど惹かれない。打楽器は全楽章を通して好演である。

チョン指揮/フィラデルフィア管弦楽団

1994.11 Deutsche Grammophon

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速めのテンポでダイナミックな演奏。DGの豊かな残響とレンジで、一層に派手な印象がある。一方、チョン・ミュンフンの他の録音と同様に、大音響の洪水の中で散漫で雑なサウンドに陥る。個人的には、私がショスタコーヴィチを聴き始めた頃に出たCDなので何度も聴いた思い出がある。同じくDGから発売された「ムツェンスク群のマクベス夫人」の国内盤を購入し、ライナーを読み込んだものだ。

プレトニョフ指揮/ロシア・ナショナル管弦楽団

2017.02.09-16 Pentatone

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長期化しているロシア・ナショナル管のショスタコーヴィチ・シリーズだが、プレトニョフの手によるこの4番と10番は、録音は良いもののいかにも物足りない演奏になっている。異様に遅いテンポ設定も、重苦しさはなくむしろ軽めのサウンドで印象に薄い。丁寧に細部までスコアを再現していくが、まるで迫力が感じられず、曲が持つリズム感も生きてこない。

インバル指揮/東京都交響楽団

2012.03.23/Live Exton

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都響との東京文化会館でのライブ録音。すっきりとした見通しの良い演奏と録音だが、よいしょと拍の頭を合わせるようなインバルのテンポ感がどうもしっくりと来ない。リリース情報によるとやたらと持ち上げられているディスクなのだが、旧盤と比べて音響的な良さはあるものの、多くの名盤の中で特別に取り上げるほどではないというのが正直な感想。

インバル指揮/ウィーン交響楽団

1992.01.20-24 Denon

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インバルらしい実直な演奏で、このある意味では支離滅裂な巨大な曲をしっかりと構成している。この構成力がインバルの魅力でもある。全集としてはコンドラシン、ハイティンク、ロジェストヴェンスキー、スロヴァーク、ロストロポーヴィチに続く6番目だっただろうか。デノンの録音の良さもあって聴きやすい全集だが、この4番に代表されるように、構成力は確かならがオケの弱さ、感情面での共感がないので平凡な演奏に陥っているとしか言いようがない。インバルのマーラー全集はもう少し魅力的だったと思う。

スロヴァーク指揮/スロヴァキア放送交響楽団

1988.05.23-06.01 Naxos

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スロヴァークのショスタコーヴィチは、オーケストラの技量に合わせた無理のない演奏ではあるものの、時に切れ味鋭いサウンドが魅力的。しかしここまでオーケストラが鳴らないと4番の面白さは表現できない。また、聴き慣れない楽器間のバランス、1楽章フーガの打楽器の入りを食うようなカットに代表される「あれ?」という違和感があちこちに存在する。

コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

1961.12.30/Live Moscow Conservatory

コンドラシンによる世界初演ライブの貴重な録音。何らかの理由で初演を撤回して取り下げられた4番は、欠番として次に5番が作曲され、この世から消えたかと思われた。しかしショスタコーヴィチは、頭の中にだけ響くこの曲を現実のオーケストラで聴きたいと願い、数奇な運命からコンドラシンがそれに応えた。その初演を現代に生きる我々が聴くことができるという喜びと感動がある。同時期の全集盤や他の60年代の録音と比べても、レコード化を前提としていないものだったのだろう、録音状態は良いとは言えない。歴史的な意味を含めてもまさにヒストリカル音源ということだろう。

芥川也寸志指揮/新交響楽団

1986.07.20/Live Fontec

4番の日本初演は1986年と遅く、芥川也寸志が率いるアマチュアの新交響楽団であった。新宿文化センター。随所にミスや力不足は散見されるが、アマチュアとしては驚異的な水準で、そして熱量に圧倒される。ライナーには芥川也寸志による「思い出のショスタコヴィッチ」と題された演奏会プログラムの寄稿があり、ショスタコーヴィチと会ったときのことが語られている。ショスタコーヴィチは朝6時に起き、作曲は午前に5-6時間行い、午後は作曲以外の仕事、夜は演奏会に出掛けるという生活リズムだったようだ。他にも興味深いエピソードが記されている。

ハイルディノフ(Pf),ストーン(Pf)

2004.05.12-14 Chandos

ショスタコーヴィチ自身による2台ピアノ編曲版。モスクワ・フィルハーモニーの首席指揮者に就任したばかりのコンドラシンが、オーケストラ・スコアが紛失していた4番のピアノ編曲版を丹念に研究し、コンドラシン側(オーケストラ側)からショスタコーヴィチに初演を持ち掛けたという。大作曲家となっていたショスタコーヴィチの「幻の作品」として4番を復活させようという動きはあったようだが、様々な条件がそろっていよいよ初演に漕ぎ付けたわけだ。そのきっかけの一つにもなった作曲家自身の編曲によるピアノ版。よくここまでピアノで再現できるなと感動してしまう。ティンパニや大太鼓の響きも聴こえてきそう。当然、シンバルやトライアングルが鳴らないので、オケ版の存在感はやはり凄いなと思う。