交響曲第12番 ニ短調 作品112「1917年」

N.ヤルヴィ指揮/エーテボリ交響楽団

1990.08 Deutsche Grammophon

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11番に続いてそのまま聴きたいヤルヴィの12番。ヤルヴィの長所でもある打楽器のリズミックな面白みが十分に堪能できる演奏。強打しているのに音が安定しているのは、俯瞰した冷静な技術そのものと思える。理想的な打楽器セクションの動きを聴くことができる。録音も良く、深みのある音が非常に心地良い。バランスも素晴らしく、これぞ決定盤であろう。一方、ヤルヴィのアプローチは、いささか表面的で情熱に欠けるという評価も理解できる。しかし、特に12番においては表面的な音響効果が楽しい作品でもあって、こうしたアプローチが奏功しているのではないかと思う。稚拙な表現をすれば、正直なところゲームの戦闘音楽のようなワクワク感も楽しみたいという期待に応えてくれる。ヒロイックな音楽だと思う。11番の項でも触れたが、個人的には高校生の頃に出会ったショスタコーヴィチのイメージを引き摺るものがあり、町田のレコード店Taharaで11番に続いて手に取ったのがこのヤルヴィの12番であった(次はカラヤンの10番。10番から12番までDGの黄色の日本語帯付きCDが並んでいた)。様々な演奏を聴き比べてヤルヴィに戻ってきたときの安心感は格別で、大冒険のパノラマが広がるかのよう。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1961.10.01/Live Venezia

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初演ライブ盤。ヴェネツィア初出。録音状態は意外にも良好で、さすがにノイズや拾いきれない音響とその薄さは気になるものの、ライブ一発録りの自然な音のつながり、一体感は損なわれていない。50年代から60年代当時の不自然な編集が入ったスタジオ録音よりはよほど良いだろう。初演とあって作曲家と共に作り上げてきた演奏なのだろう、凄まじいエネルギーを感じさせる。異常なまでに速く(録音状態も起因するのか)、そして一点を目指し集中する推進力は、聴き手側にも恐ろしいまでの緊張感と集中力をもたらす。初演直後のスタジオ録音盤では、幾分の余裕があり、また後年のライブ盤ではムラヴィンスキーの円熟が感じられるが、この初演盤の狂気的とでも言いたくなるような張り詰めたオーケストラのサウンドは唯一無二の魅力だ。ショスタコーヴィチがフルシチョフの圧力で共産党に入党させられ、弦楽四重奏曲第8番の作曲中にビール半ダースを飲んで泣いたというエピソードが伝わっているが、当局お抱え作曲家のイメージは好ましいものではなかった。そして発表されたこの12番も、初演当時の評価は表向きは良かったのかもしれないが、自由主義のインテリは入党に幻滅しており、この曲が政治を抜きに正しく評価されるには、時代の移り変わりを待たねばならなかった。一方、ムラヴィンスキーは12番を擁護する立場を貫いた。天羽健三氏が翻訳したグレゴール・タシーによる『ムラヴィンスキー 高貴なる指揮者』(アルファベータ)には、ムラヴィンスキーに関する多くの貴重な情報と資料が掲載されているが、12番についてムラヴィンスキーの評価として「本質的に、これはこの作曲家が、この様式にある『古典的な』符号を遵守する伝統的なソナタ・アレグロを、初めて満足いくように、この部分が何と素晴らしく聴衆の良心の中で前面に出され、何と巧みに与えられ、主題材料が展開することか!ここに様式の演出が見事な職人芸で達成されている」という言葉が紹介されている。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1961.12 Victor/Melodiya

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初演と同年のスタジオ録音。タシー『ムラヴィンスキー 高貴なる指揮者』(アルファベータ)によれば、12月の録音。どこか寒気を感じるような鋭く透徹した響きは、ムラヴィンスキーならではの魅力と言えよう。そしてこのスピード感。凄まじい勢いとテンポで押し寄せる、まるで無感情の真っ直ぐなエネルギーとその整ったベクトル。レニングラード・フィルの強烈なサウンドで、荒れ狂うような音の洪水ながら、しっかりと統制されている。スクエアな響きをまとうオーケストラと、切り込むような鋭い打楽器の音色が、当時のムラヴィンスキーのスタジオ録音盤の最も良い部分を表しているように思う。録音状態も良好だ。スネアやシンバルの鋭い音色は、他では聴けないだろう。12番はヒロイックでメロディアスな曲であると理解しているが、ムラヴィンスキーのアプローチの何と生真面目で、そして冷静なことか。この冷たさこそムラヴィンスキーだ。ところで、4楽章の練習番号109の4小節前の人工的なテンポの移行は、ライブ盤では聴かれないものだが、不自然なまでの動きにもティンパニと弦楽器がぴたりと付いている様は、この一糸乱れんと演奏するレニングラード・フィルの面白さを感じる。なお、この1961年の当録音をもって、ムラヴィンスキーはスタジオ録音をしていない。今もって我々がムラヴィンスキーのスタジオ録音盤として聴くことのできる最新録音であり、貴重な音盤である。ムラヴィンスキーがスタジオ録音を嫌っていたというのはよく知られている話だが、前述のタシーの著作によれば、「テープを切り刻み、つなぎ合わせて『演奏』を作る技師やテクニシャンの光景は、彼の芸術的心情と相容れなかった」とある。また、首都と比べて録音の設備と条件に劣ることも言及されている。このレコードは「最高の称賛を得た」とのことで、グラモフォン誌は「ムラヴィンスキーは、音楽上のものだろうと他の趨勢だろうと、疑いを忘れさせるほど第12番に異常なほど興奮して涙している」と評している。

ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1984.04.29/Live Victor

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ムラヴィンスキーの生涯最後の録音となった12番。80年代には年に数回の演奏しか行っておらず、その貴重な録音の一つ。記載の録音年月日は、天羽氏のリストに従った。最晩年にこの曲をプログラムに加えたことには、ムラヴィンスキーに何かしらの思い入れがあったものと想像するが、初演から生みの苦しみを共にしてきたムラヴィンスキーならではのものだろう。時を経て表題や政治的な背景が薄れ、指揮者とオーケストラが真摯に作品に向き合った演奏として、これほどまでに感動的な曲に仕上げることができるのは、ムラヴィンスキーが特別な領域の指揮者であると感じさせる。旧盤のような極端な速さは幾分落ち着き、その分、一音一音しっかりと歌い込まれ、特に3楽章から4楽章にかけての手寧な音響作りには、ムラヴィンスキーの指揮芸術の到達点を聴くことができるのではないか。レニングラード・フィルの精緻な演奏、説得力ある必然的な強奏、閃光のように輝かしいサウンドが我々を虜にする。なお、常に拍子が入り組むショスタコーヴィチではあるが、4楽章の練習番号117辺りは振り分けが煩雑な箇所でもあり、数小節の間アンサンブルが乱れる事故が起きている。

キタエンコ指揮/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

2003.10 Capriccio

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キタエンコ全集の中で、2番と並んで最も評価したいのがこの12番。偶然にもレーニンを主題とした交響曲ではあるが。迷いのないテンポで突き進む1楽章をはじめ、とにかくひたすらにカッコイイ。12番は駄作なんて言う向きも、隠された暗号が云々と言う向きも、とりあえず何も考えずにこの録音を聴いていただきたい。車で大音量で流しながら夜の海岸を飛ばしてみるのもいいだろう。当時のソ連ではそんな聴き方はできなかっただろうが、実に気持ち良い。3楽章後半から4楽章に掛けては、もう大興奮である。興奮の坩堝。打楽器もどかんどかんと打ち鳴らされるし、しかもそれが素晴らしい録音で銅鑼や大太鼓なんて今まで聴いたことのないような分厚い音色。深くて、つぶも立っていて、芯の音と長い余韻がしっかりと聴こえる。ティンパニの激しい打ち込みも魅力的だし、トライアングルはよくぞここまでクリアーに聴こえるものだと感心してしまう。リズムを叩かせている部分などは、本当にライブの感覚。圧倒的な音響と演奏効果に、容易には言えないこの言葉が思わず漏れる。…感動。

井上道義指揮/名古屋フィルハーモニー交響楽団

2007.12.05/Live Octavia

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日比谷公会堂で行われた交響曲全曲演奏プロジェクトの12番。11番に続いての演奏である。演奏の特徴は11番と同様、オーケストラのサウンドは軽めながらホールの響きと録音のデッドさが素晴らしい質感を生んでいる一枚。豊かな響き、分厚い大音響、という録音とは全く異なり、ストレートで素直な唯一無二のサウンド。11番の演奏後に休憩を挟んでそのまま続く12番の説得力、そして感動は他では味わえない。下手配置の打楽器の音の近さが凄まじく格好良い。前面に出て打ち鳴らされる両端楽章のスネアの存在感に改めてこの曲の魅力を感じざるを得ない。技巧的な高速フレーズを太い音色でバララッと駆け抜ける。オーケストラも乗りに乗って、緩徐楽章の細部に至るまで緊張感が途切れることはなく、パノラマのような広がりのある世界観を見せてくれる。

V.ペトレンコ指揮/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

2009.06.28-29 Naxos

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12番は、ペトレンコ全集の最も良い面が表れているように思う。技術的に申し分ない素晴らしいオーケストラと、コントロールの利いたしっかりと構築された演奏、明瞭で明るく軽めのサウンド、乱れのない快速なテンポ、どこを切ってもペトレンコ全集の魅力があふれている。バリバリと鳴る金管や打楽器も素晴らしく、はっきりとメリハリの効いた演奏になっている。特別に個性的というわけではなく冷静にスコアを再現しているのだが、このメリハリが演奏を引き締まったものにしている。速いパッセージや息の長いソロ、ここまでやるかという体力系の楽譜だが、涼しい顔でやってのけるロイヤル・リヴァプール・フィルの職人芸にも脱帽する。理想的なスネアのテンポ感、リズム感、器用な存在感。ここまで鳴るのに、うるさくもなければ主役に躍り出るものでもない。ショスタコーヴィチの影の主役、というスネアの立ち位置を表してくれる痛快な一枚。

ラザレフ指揮/日本フィルハーモニー交響楽団

2018.11.09-10/Live Exton

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ラザレフと日フィルの一連のシリーズから。他は2014-2016年に掛けての録音なので、しばらく間を開けてからの録音。ラザレフと日フィルの名コンビぶりはもちろん健在で、速めのテンポと細身で鋭く華麗なサウンドが格好良い。このコンビの魅力でもある明瞭で深みに嵌まらない表層的な表現が、12番においてはやや軽いのだが、これはありだと思う。録音が優秀でリズムがしっかりしていると12番はとても生きる。ラザレフの11番から続けて聴くことができる一貫したドラマチックな世界。

ハイティンク指揮/コンセルトヘボウ管弦楽団

1982.01.25-26,02.01 Tower Records/Decca

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洗練され、研ぎ澄まされた純器楽的交響曲としての12番。緻密に組み立てられた立派な演奏。11番同様に冷たい印象さえも受けるのは、その徹底された細部へのこだわりゆえだろう。引き締まった響きがとても美しい。オケの技術力も素晴らしく、エーテボリ響に不足感があるならばこちらを薦めたい。非常にしっかりとした造形で、さすがの一枚である。

デプリースト指揮/ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

1994.05 Ondine

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オンディーヌとヘルシンキ・フィルの霞みがかったような幻想的なサウンドは、ショスタコーヴィチ演奏の新たな可能性を見せてくれるが、この12番においては生き生きとしたリズム感が素晴らしく、単に丁寧で品の良い演奏の枠には収まらない。2楽章の透き通ったサウンドはまさにデプリーストなのだが、1楽章、3楽章、4楽章の縦のリズムがすっきりと整理されており、細部までクオリティを落とさない。12番はあちこちに突如現れるオーケストレーションの薄さがオケの技術によっては致命的になるが、高水準のソロや、隙間を埋めるようなティンパニとスネアの技巧的なリズムによって見事につないでいくと曲全体が生き生きとする。これを証明するような演奏であり、この曲には派手な演出は不要だということがわかる。テンポも全編にわたって特別なことはしていないが、4楽章練習番号109の手前のアテンポからアッチェルは独特な解釈で、109は明らかに遅い三つ振り。

ロジェストヴェンスキー指揮/ソビエト国立文化省交響楽団

1984.01 BMG/Melodiya

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冒頭から重い音で聴かせてくれ、いかにもソビエト文化省響らしい金管の咆哮も期待を裏切らない。強烈なサウンドはこのコンビらしいが、随所に穴が開くような隙が散見され、一気呵成の流れを損なう。相変わらずの信じられないような大音量にはニヤリとさせられてしまうのだが、曲の内容からいっても、もう少し聴きやすくてもいいはずだ。全体的にスネアも安定せず、妙に難しい楽譜を叩いているような印象を与える。

ポリャンスキー指揮/ロシア・ステート交響楽団

1996.03 Chandos

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意外にも、12番にはソ連の指揮者の名演が少ない。ロストロポーヴィチは凡庸で、コンドラシンでさえも冴えない。バルシャイ、マクシムも精彩を欠く仕上がり。ヤルヴィやヤンソンスは旧ソ連の系譜を受け継ぎつつも別路線へと昇華していったことを考えれば、このポリャンスキー盤はまるで最後のソ連サウンドを聴かせてくれるようなアクの強いコッテリした演奏。オーケストラはもちろんロジェストヴェンスキーが鍛えた旧ソビエト文化省響。べったりと鳴る金管や押し込むような圧力にあふれるサウンドは、文化省響の遺産か。銅鑼やサスペンデッド・シンバルなど、減衰が遅く余韻がだいぶ後ろに延びる金属打楽器の音色が特殊で、銅鑼はロールを入れている。

ギーレン指揮/南西ドイツ放送交響楽団

1995.09 Arte Nova

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ミシミシとオケ全体が打ち震える、密度の高い演奏。ギーレンらしい、充実のみっちり感。音色そのものはロシア風ではないものの、管楽器の突き刺すような音や、独立部隊として曲中を縦横無尽に駆け回る打楽器群といい、抜群の雰囲気を持つ。なぜギーレンはショスタコーヴィチの交響曲の中で、12番を選んだのだろうか。この曲への特別の思い入れがあるのかはわからないが、あくまでも真面目かつ整然としたアプローチ。ともすると4楽章などで楽観的な薄い音楽になりがちだが、真面目すぎると言ってもいい演奏。高めのパラパラと鳴るスネアも特徴的。終楽章のロールの激しさには思わずニヤリ。スターリンの音型EBCも重々しく響く。

カエターニ指揮/ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団

2005.07 Arts

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明瞭な響き、自然なテンポ感が、どこか爽やかささえ感じられるカエターニの12番。ノリの良いリズミックな演奏で、この12番をヒロイックに格好良く仕上げている。表面的な格好良さだけではなく、ほとばしる情熱もあり、特に3楽章後半から熱量は凄まじい。もったいぶることなく速めのテンポでドドン!ババン!と駆け抜け、4楽章に辿り着いたときの美しさは格別だ。セッション録音と思われる。

ドゥリアン指揮/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

1967.10 Philips

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唸るような密度の高い演奏を収録しており、60年代の録音ながら素晴らしいディスク。じっくりと細部まで聴かせる演奏で、その巧緻性の高さと、オーケストラの技術に支えられた爆発力に惹かれる。打楽器も好演で、ここぞというテンポ感でしっかりと決めてくれる。ドゥリアンは我が国ではあまり名前が知られていないが、アルメニアを中心に活躍し、東ヨーロッパを代表する名指揮者とのことで、ショスタコーヴィチとの親交も深かったという。

ウィグレスワース指揮/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

2005.04 BIS

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ウィグレスワースのこれまでのアプローチからすれば、12番はもっと良い演奏が聴けたのではないかと思うのだが、1楽章は期待ほど冴えない。3楽章後半では意外と速めのテンポで推進力が加速していくが、高音質の録音と相俟ってこれ以降は素晴らしい。個人的には12番はかなり面白い演奏効果のある曲だと思うのだが、あまりにも名盤が少ない。当盤はいつもながらも高音質で、素晴らしい音響を味わうことができる。あまり注目して聴いてこなかった細部の表現などもはっきりと聴くことができ、12番の新たな魅力に気付くことも。軽めのスネアと、高音質で鳴る分厚い大太鼓や銅鑼が魅力的。トライアングルの控え目で品の良いキラキラ感が素晴らしい。4楽章のティンパニが凄い存在感に。

タバコフ指揮/ブルガリア国立放送交響楽団

2015 Gega New

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タバコフの全集の中では完成度の高い一枚。技術的な粗がそれほど目立たず、真面目にスコアを再現すればよい演奏になるのだろう。録音も良く、木管楽器や弦楽器の芯の太いサウンドが魅力的。ザクザクと切れ味の良いリズム感も素晴らしく、オーケストラの健闘が伺われる。

アシュケナージ指揮/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

1992.04 Decca

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デッカのどこか冷たく真っ直ぐな録音と、アシュケナージの個性を抑えた棒によって、聴きやすい演奏に仕上がっている。1,2楽章はもったりとしていて野暮ったいが、3楽章後半になると俄然勢いが出てきてこの演奏の真価を発揮する。4楽章では各楽器ともわんわんと鳴り響き、充実した大迫力に。強烈なティンパニ、大太鼓が良い。ラスト数小節にかけては、壮絶とも言えるほど。ここまで鳴らしきる演奏も多くはないだろう。

コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

1972 BMG/Melodiya

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硬質なサウンド、速めのテンポによって作られるコンドラシンによるショスタコーヴィチの世界観は、他の交響曲と同様のアプローチである。1楽章に顕著に現れるが、直球勝負といった勢いと、速いパッセージを弾く弦楽器の猛烈なエネルギーに惹き込まれる。この引き締まったメリハリある演奏でコンドラシンらしい切れ味が魅力ではあるものの、しかしながら全集の中でも音が薄くて息が続かない悪い方の特徴が出ている録音状態で、この演奏の真価を量ることはできない。せっかくの強烈なサウンドが生きてこないのは残念だ。

ロジェストヴェンスキー指揮/フィルハーモニア管弦楽団

1962.09.04/Live BBC

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西側初演ライブ。録音状態もあまり良いとは言えず、演奏の精度も今一つ。ソビエト文化省響とのずっしりとした演奏とは異なり、全体を通してかなり速めのアンバランスな演奏となっている。木管奏者など大変だろうに。ロジェストヴェンスキーのライブは観客へのパフォーマンスが激しくて面白いのだが、この演奏も素晴らしく聞き応えのする爆裂ライブ。打楽器も節操のないシンバルをはじめ健闘しているが、瑕疵が多く、スネアは派手に間違えた上に適当にリズムを刻みながら復帰しようとするも取り戻せず。凸凹な演奏なのだが、どこか魅力にあふれ、この推進力は面白い。

インバル指揮/ウィーン交響楽団

1993.06.09-13 Denon

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インバル全集最後の録音となった12番。1楽章、速めのテンポ。これまでのインバル全集のイメージとは異なる切れ味にハッとさせられる。インバル全集は丁寧で構築美の優れた演奏が魅力的だが、その客観性が味気なく、80年代までのコテコテの演奏に耳慣れた身にはいささか物足りない印象だ。しかし、この12番においては、スピード感、切れ味の鋭いオケのサウンド、サクサクと鳴るスネア、理想的なテンポ、いずれも素晴らしく、録音に恵まれない同曲にあって、12番とは何かという一つの回答を示す立派な演奏である。

スラドコフスキー指揮/タタールスタン国立交響楽団

2016 Melodiya

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オーケストラの技術も録音も良いとは言えないのだが、真摯に取り組む独特な魅力と、2016年に全ての交響曲と協奏曲を録音しようという意気込み、こだわりの感じられるスラドコフスキー全集。明らかにパワー不足のもどかしさの中で、どうにかこうにか4楽章まで辿り着いたときの感動がある。4楽章後半の粘り強いサウンドは聴き応えがある。

ボールト指揮/BBC交響楽団

録音年不詳/Live Intaglio

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1993年にイタリアで出版されたが、録音年不詳のライブ。暴力的なテンポとサウンドが実にショスタコーヴィチらしい魅力にあふれている。ライブ録音。全編を通してあちこちでアンサンブルの乱れが聴かれるが、この一気呵成の真っ直ぐな推進力と緊張感は紛れもなくショスタコーヴィチの世界。暴力的な強奏の一方で、堂々とした分厚い響きが素晴らしい。

ストゥールゴールズ指揮/BBCフィルハーモニック

2022.09.15-16 Chandos

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11番で名録音を残したストゥールゴールズのショスタコーヴィチ第2弾は12番と15番。11番に引き続きサウンドも録音も素晴らしい。上から下までしっかりと鳴るどっしりとした録音は、オケの上手さもあって言うことはない。それでいてやや乾いた土臭い響きもストゥールゴールズの意図するところなのだろうか。11番と通ずるものがある。12番を最新録音で聴くことができるのは素直に嬉しい。しかし12番はやはりショスタコーヴィチの中では鬼門の一つで、テンポがどうにも締まらない。これをひと昔前は駄作だという論調まであったようだが、ヤルヴィのノリの良いテンポ感を聴いてしまうと、やはりこれは難曲なのであって、意図したテンポ感、リズム感を表現するのは困難なのだということなのだろうと思う。

コフマン指揮/ボン・ベートーヴェン管弦楽団

2006.05.15-18 MDG

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あえて小編成にしてあるのか、薄くて軽いものの丁寧でハッキリとしたサウンドが魅力的なコフマン全集。この12番が全集最後の録音となっている。ドラマチックな12番の曲想そのままに、流麗な演奏。しかし都会的なサウンドではなく、派手さのないどこか素直で朴訥としたもの。テンポも大袈裟な表現は一切なく、これがコフマンの魅力かもしれない。パワー不足は否めないので、11番や12番に分厚いサウンドとエネルギーを求める向きには物足りなさが残るだろう。

ネルソンス指揮/ボストン交響楽団

2019.11/Live Deutsche Grammophon

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私が初めて手に取ったネルソンスのCDは4番と11番の2枚組。その素晴らしい演奏技術と明るく軽快なサウンドに度肝を抜かれたわけだが、どうやら旧ソ連ラトビア出身のこの若き指揮者がショスタコ全曲録音を敢行するとあって、以来、毎回わくわくしながら追い掛けてきた。そして最後の2,3,12,13番です。この4曲を残したのも面白い(残ってしまったのか、あえて残したのか)。しかしこの12番、これは違うでしょう!?12番はこうじゃないんだよ!と叫びつつ、これまでのネルソンスは全て既成概念を打ち破ってきた新しいサウンドだったし、あの11番もパラパラと軽快にやってのけたが、素晴らしい録音だったわけだ…。この12番、確かに過去にはないネルソンス・サウンドのショスタコーヴィチなのだが、こうも合わないとは…!もちろん、演奏技術もサウンドも素晴らしいのであって、この12番という曲があらゆるスタイルの演奏を跳ね返す気難しい曲だということか…。

ヤンソンス指揮/バイエルン放送交響楽団

2004.04.26-28 EMI

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細部まで丁寧に演奏されているし、強奏部は感情的にならないで極めてクールに通り過ぎる。ある意味では「普通」の演奏。いたって普通。バイエルン放送響の安定感ある演奏は、スコアから想像できる範囲で優等生的な内容。その普通さが「上手い」ということなのかもしれない。

M.ザンデルリンク指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

2017.05.26-29 Sony

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ミヒャエルにしては野暮ったいテンポで始まり、切れ味が悪い。アレグロに入っても、12番の魅力でもある力強い疾走感は得られず、スネアは、11番から続けて聴くと「どうした!?」という感じで拍子抜けする。ミヒャエル特有の急なリタルダンドなどのテンポ操作の演出も、間延びしており、生きているとは言い難い。全集中でも素晴らしいあの11番の続編として聴くには困難だ。11番の録音は2018年なので、当ディスクはそれよりも前の録音ではあるのだが、ミヒャエル・ザンデルリンク全集全体のクオリティから言えば、残念なところ凡庸でなかろうかというのが正直な感想である。しかし、それでもところどころで印象的な演奏を聴かせてくれる。

バルシャイ指揮/ケルンWDR交響楽団

1999.09.11,15 Brilliant

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1楽章冒頭の充実したWDRの響きから期待感が高まるものの、アレグロ以降の力不足とどこか散漫で集中しきれない素っ気なさ、しっくりとこない甘いリズムが、バルシャイ全集の中でもこの12番を凡庸な出来にしてしまっている。オーケストラのサウンドは良いだけに、惜しい演奏である。

インバル指揮/東京都交響楽団

2011.12.20/Live Exton

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都響とのライブ録音。全集盤のサクサクとした小気味良いサウンドは聴かれず、全体的に野暮ったい。4楽章の再現部の前に極端に落ちるテンポなど、こうした表現も個人的にはそれほど好きではない。よいしょ、という感じで合わせていくリズム感もこの曲の躍動感を損なっている。12番を格好良く演奏するのがいかに難しいのか改めて感じるところだ。

M.ショスタコーヴィチ指揮/プラハ交響楽団

2006.03.08-09/Live Supraphon

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2006年の2-3月で交響曲第3番、11番、12番、15番をライブ収録したマクシム。技術面ではかなり厳しいが、それぞれ魅力ある演奏に仕上がっている。12番はわかりやすい曲想と派手な金管と打楽器によってもっとエンターテイメントな録音が多く表れてもいいだろうと思うが、なかなかディスクには恵まれない曲である。マクシムは相変わらず2006年にしては冴えない録音とオケのパワー不足で、4楽章も終盤に向かえば向かうほどスタミナ切れするというわかりやすい演奏である。

ロストロポーヴィチ指揮/ロンドン交響楽団

1994.06 Warner/Teldec

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オーケストラの技量は十分だろうに、表層的にはヒロイックなこの曲を何とも盛り上がらない演奏に仕立てるのは、何らかの解釈があるのだろうか。ロンドン響の華麗なサウンドが素晴らしいのだが、敢えて華麗さを削いでいくマゾヒスティックな演奏とも言えるかもしれない。

プレートル指揮/フィルハーモニア管弦楽団

1963 Tower Records/EMI

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1961年初演後のムラヴィンスキー盤、62年の上田盤に続く、世界3番目にリリースされた録音が当盤とのこと。前二者に比べて録音状態は素晴らしい。長らくLPでしか聴くことができなかったが、タワーレコードによってCD化。随所にテンポやフレージングに独特の解釈が見られ、スタンダードが確立されていなかった当時のこともあろうが、違和感しかない。特に終楽章コーダのテンポ演出はまるで違う曲にしてしまっている。フィルハーモニア管の素晴らしいサウンドは格別だが。

スロヴァーク指揮/スロヴァキア放送交響楽団

1989.02.05-12  Naxos

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12番の1楽章や4楽章は疾走感の中でそのヒロイックな響きを味わうのがよいと思うのだが、あまりに遅いテンポで演奏される中で疾走感を損なっていると言う前に、このテンポでも演奏できていない、という技術的な問題が顕著。4楽章は多少持ち直しており、ティンパニやスネアの健闘は評価したい。

上田 仁指揮/東京交響楽団

1962.04.12 TBS Vintage Classics

 日比谷公会堂での日本初演の録音。録音状態は当時の日本の技術によるものだろうが、当然ながら現代においてCDとして聴くには難があるものの、この録音の資料的な価値は高い。日比谷公会堂は、個人的に仕事上で多用したもので思い入れの深いホールであり、昭和初期の空気が大好きです。ショスタコーヴィチの多くの交響曲をこの日比谷公会堂で初演した上田仁だが、録音状態や当時のオーケストラの技術的な壁はあれど、この12番の初演も凄まじいボルテージで、演奏をどのような方向に持っていこうというのがよく伝わってくる。ボーナストラックとして、上田仁の短いインタビューが収録されている。当時のショスタコーヴィチはソ連の体制側の派手なヒーロー像があったのか、ショスタコーヴィチと会ってみての印象を「暗い感じなんですね。口の重い方です、非常に」と意外そうに語っている。現代の我々のショスタコーヴィチ像はまさに暗い感じで口が重いので、思わず笑ってしまった。