交響曲第10番の意図的な暗号化と、その手掛かりとしてのナジーロヴァ書簡

一柳富美子先生のレクチャーを受けてのレポート

 

1945年に交響曲第9番が発表されたが、それはいわゆる第九のジンクスを背負うものでもなく、比較的小編成の軽快なディベルティメント風の音楽だった。それは、第二次大戦に勝利し、大規模な、それこそ「レニングラード」交響曲に通ずる愛国的で巨大な交響曲を期待していたソビエト当局の期待に適うものではなかった。

 

それにより、戦後に始まるジダーノフ批判の対象としてショスタコーヴィチ作品も取り上げられ、当局より圧力が掛けられることとなる。そのためにショスタコーヴィチは交響曲の作曲から離れざるを得なかったのである。ショスタコーヴィチは交響曲というスタイルに、他とは違う哲学的意義、思索性、また社会的影響力を意識していたはずだ。であるからこそ、自らを偽る行為を交響曲の中には持ち込まなかったと考えられる。

ジダーノフ批判後、ショスタコーヴィチはいわゆる「社会主義リアリズム」に則った作品として当局の植林計画を賛美するオラトリオ『森の歌』を作曲し、社会主義リアリストとしての名誉を回復させる。他にも、ジダーノフ批判に影響された作品群を大戦直後にいくつか残している。『祝典序曲』や、また『ベルリン陥落』、『忘れがたき1919年』に代表される映画音楽でも、体制やスターリンを賛美する音楽を書いている。

 

しかし一方で、抑圧されたショスタコーヴィチの精神は、『反形式主義的ラヨーク』や『ユダヤの民族詩より』といった、明確に体制批判を唱える曲を生み出している。もちろん、これらの曲は発表されることはなく、長い間眠り続けることになる。

そうした中で、1953年3月にスターリンが死ぬと、その年の夏にショスタコーヴィチは実に8年ぶりの沈黙を破って交響曲の作曲に取り掛かる。

そこには、明らかに何かしらの意図が隠されているはずだったが、それについては憶測を呼ぶだけで作曲者の口からは重要なことはほとんど何も語られなかった。わずかに語られたのは、次の内容である。これには各楽章に対する短いコメントも添えられているが、それは割愛する。

 

作曲家は、自分としてはこうやってみたのだが、などと言いたがるものである。だがわたしはそういうふうに語ることはひかえよう。聴衆が何を感じたかを知り、その意見をきくことのほうが、わたしにははるかに興味ぶかい。ひとことだけいえば、この作品のなかでは、人間的な感情と情熱とを描きたかったのである。(ショスタコーヴィチ自伝、『ソヴェト音楽』1954年4月号より)

 

曖昧にぼかされており、核心的な部分に触れぬよう言葉を選んでいる。自ら公には「語ることをひかえよう」としているのである。

その作曲背景があまりに特殊であることも含め、ソビエト国内外でこの10番に対する論争が起こり、それは「第十論争」として知られる。主な論点は社会主義リアリズムに適っているかということと、純粋に音楽的な(あるいは構成的な)問題であったが、いずれにせよ、様々な議論と憶測が交わされたのである。

 

しかし、1994年1月、ミシガン大学で行われたシンポジウムにてナジーロヴァ書簡が発表されたことにより、10番の(特に3楽章における)明確な内容が明かされた。

この書簡は全部で34通。1953年4月から1956年9」月まで、ショスタコーヴィチが教え子の女性ナジーロヴァに宛てたものだ。

特に2〜3楽章作曲中の8月から9月に集中しており、そこには明確な(譜例も付けての)解説が書かれていたというのである。

 

そこでは、3楽章に頻繁に現れるホルンの「E-A-E-D-A」の音型(マーラー作曲『大地の歌』と酷似する部分)が、ナジーロヴァのファースト・ネーム「エリミーラELMIRA」の暗号化であると明かしている。

すなわち、次のように読み替えるのである。

 

E → E

L → A (A音はロシア語で「リャ」)

MI → E (E音はロシア語で「ミ」)

R → D (D音はロシア語で「レ」)

A → A

 

このエリミーラ・ナジーロヴァとショスタコーヴィチの関係は、教え子と教師の関係に過ぎぬが、書簡の中でショスタコーヴィチは何度も彼女への憧れを告白しているという。であるならば、この「エリミーラのモチーフ」は、少なくとも作曲時のショスタコーヴィチにとっては「愛の象徴」であると考えられる。

それは、単にエリミーラへの個人的な恋愛感情というのではなく、もっと普遍的な「愛のテーマ」である。それは、このテーマがマーラー作曲『大地の歌』冒頭の旋律に乗っていることからも言うことができる。

 

ショスタコーヴィチは、この『大地の歌』冒頭のテーマを「猿の叫び声」と名付けた(歌詞の内容と結び付けている)。中国では、猿は死や不吉な運命の象徴とされているとのことだ。死や不幸といった象徴を帯びるその旋律に、「愛のテーマ」を乗せた。すなわち、ここには「愛」と「不幸」、あるいは「死」が混在していることになる。そうであれば、かつてショスタコーヴィチが公式に残した「この作品の中で人間的な感情と情熱を描きたかった」という言葉がまさに正しかったということが分かる。

 

また、ショスタコーヴィチ自身もこの交響曲の中に登場する。それは多くの研究家や愛好家に度々指摘されるDSCHの音型をとって現れる。これは言わずもがな「D-Es-C-H」であるが、3楽章に初めて登場し、「エリミーラのモチーフ」と掛け合うのである。それは愛との対話であり、不幸や死との対話である。4楽章になると、「エリミーラのモチーフ」をDSCHが受け継いでいく。これは愛や不幸を背負っていくショスタコーヴィチ自身の姿であり、第10交響曲は自画像であったということが分かる。