だまされるな!交響曲第5番の三形態

最近、『ドラゴンボール』を読み直した。フリーザ様が3段階に変身するのを見て、「まるでショスタコーヴィチだのう」と思った。つまり、交響曲第5番についてである。発表当時から現在まで、様々な誤解が渦巻く問題作だ。

さて、その5番像の第一形態から第三形態まで思い切ってまとめてみようというのが拙稿の試みである。

 

まずは簡単に予習だ。ショスタコ氏は革命から冷戦まで「ソ連」というキーワードから露骨に連想される厳しい社会情勢を生きた。

この国が芸術家に許したのは唯一「社会主義リアリズム」に則った作品。お国を賛美し、革命と同志スターリンを神格化する作品だ。「天才にして天然」の若かりしショスタコ氏は、不協和音満載の交響曲やバイオレンスなオペラを次々と発表するが、当然ながらお上から強烈な批判を受け、親戚は収容所送り、友人は銃殺という悲惨な状況を迎える。

「あいつに関わったら命がない」との噂が彼を孤立させる中、起死回生の交響曲第5番の作曲に取り掛かるが…。

 

▼第1形態:革命的勝利の交響曲!

 

自らの生死をかけてベートーヴェンとの相似形を持つ普遍的な「勝利」の交響曲を作った。というのが、最初の解釈だ。《革命》という日本での副題も、こうした経緯から生まれたのだろう。

 

▼第2形態:体制批判の暗号アリ、民衆の叫びを聞け!

 

ところが、死後に出版された暴露本(『ショスタコーヴィチの証言』)によって、「5番は強制された歓喜」と発言していたことなどが発表される(現在では偽書であるとされる)。また、特に交響曲において、反スターリンの暗号が多く散りばめられていることなども明らかになった。

一見して社会主義リアリズムに根ざしたソ連お抱えの作曲家でありながら、その実、二重言語を駆使して体制批判を行っていたという、ある種のヒーロー像を生むことになった。

 

▼第3形態:愛人に捧げた愛の賛歌!

 

しかし近年、親しい友人たちと交わした手紙や、30数年分にも及ぶ膨大な日記が発見され、更に多くの事実が明らかになっている。

政治との結び付きでショスタコを語る時代は終焉を迎え、5番をめぐる諸問題にもそろそろ解答が出ようとしている。

 

5番にはビゼーの《カルメン》から「愛!」と叫ぶ箇所が引用されていること、そして自作の《プーシキンの詩による四つの歌曲》からも極めて私的な感情を歌った箇所が引用されていることが知られているが、当時のショスタコ氏にはリャーリャという若い愛人がいた(5番に限らず、このところ明らかになる新事実には女がらみが多く、従来の硬派なイメージを破壊し尽くしているわけだが、13歳の頃から女について語っているような男である。ついでにイケメンだ)。

 

そして、リャーリャがショスタコ氏と別れた後、カルメンと名を変えた事実。

4楽章ラストにおける252回もの「ラ」の音の繰り返し。つまり、ロシア語で「ラ」は「リャ」と発音するわけだが、別れた愛人の名「リャーリャ」を叫んでいるというわけだ。

 

こうした解釈の変遷さえ、ショスタコ氏は見通していたような気がする。

4楽章冒頭で金管楽器群が強烈に奏でるテーマも《カルメン》の引用であり、その原曲歌詞は「だまされるな」である。勝利の交響曲であり、二重言語による政治批判であり、そしてその最深部には愛人への思いが込められているとは、ショスタコーヴィチが分厚いメガネの奥でニヤリと笑う姿が目に浮かぶじゃあないか。

(了)