交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」

N.ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団

1989.12 Deutsche Grammophon

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ヤルヴィのショスタコーヴィチ11番である。ヤルヴィの振るショスタコーヴィチ、その魅力は思いきって要約すると三つ。一つめ、テンポ感。ヤルヴィは抜群のテンポ感を見せる。演奏の速度設定は極めて速いが、そのテンポでの演奏において、ヤルヴィの世界観を提示している。オケをほとんど完璧にドライヴし、そこには強引な手腕は全く感じられない。自然な音楽の流れの中で、最適のテンポを生み出しているとさえ感じる。明らかに速いテンポであるにも関わらず、それが抜群のアナライズであると心の底から確信できる。二つめはリズム感。ショスタコーヴィチの演奏において、リズムは極めて重要である。ショスタコはクラシック音楽でありながら、現代的で非常にリズミックな性格を持ち合わせているが、そのリズムの面白さをヤルヴィは120パーセント引き出すことができる。リズムとは、ストーリーを有した音楽の根源的な原動力である。リズムの乱れは、音楽を損なう。スコアに描かれた世界観そのものを覆うリズムは、決して奏者が損なってはならない不可侵なものであると感じているからこそ、ヤルヴィの奇跡的なテンポとリズムに、我々は狂喜する。そして、ある種の寂しさを感じる。この寂しさの根源はわからない。そして三つめは打楽器。ヤルヴィの抱える打楽器パートは、まさにエリート部隊。超魅力的だ!スコティッシュ管でもエーテボリ響でも、異常なまでに打楽器が強調され、素材そのものが鳴りきり、そして、ものすごくテクニカル。楽譜に要求されている以外のことはほとんど何もしないし、叩き方も音色も特徴的なものではない。しかし、オーソドックスを極め、想像できる限り理想の音響的な鳴りを運んできてくれるから、CDってやっぱりすごいよな、と思うし、だったらSACDで聴いたらどうなるのだろうというわくわく感もある。この11番の録音は、そうしたヤルヴィの魅力が十二分に発揮された極限的な演奏と僕は思う。ソビエト生まれの血も滾り、特に2楽章において最高の演奏を聴かせる。シカゴを初めとする超人的な米英のオケには力負けするし、心奪われるレニングラード・フィルやモスクワ・フィル、そして我がソビエト文化省響の超強烈な音色に比べればとても太刀打ちできないのだが、それでもそれを弱点とはしない凄みがある!凄み、なのだ。テンポ感とスピード感がそれをカバーする。そして、オケ全体が分裂することなく、一つの音楽を紡ぎ出す。例えば、雪崩ゆく2楽章「虐殺」は、極端な速さで突き進んでいく。ここでも大事なのはスネアをはじめとする打楽器群だが、心底素晴らしい。音色、音量、バランス、アンサンブル、どれをとっても素晴らしい。ティンパニは決して音を割ったりせず、豊かな深い音で大音量を聴かせるし、大太鼓も広がりのある深く重い音を響かせる。それでいて、粒立ちもしっかりしている。サスペンデッド・シンバルはシャープな音色で切り込み、圧倒的な存在感を示す。驚くほどに。打楽器の随所の存在感には、単に楽譜に記された演奏以上のものが求められているとわかる。スネアは、このテンポにもかかわらず装飾部音符までしっかりと聴かせ、明確なテンポ感でオケの中心的な存在となって存在している。「ショスタコーヴィチのスネア」という、おそらく音楽史上最も理想的で素晴らしく到達感のあるアクションは、僕はこれ以外には知らない。………さて、鬼気迫る大迫力でもって「虐殺」場面を駆け抜け、その後の静寂の怖ろしいことと言ったらこの上ない。混沌する大音響と静寂との対比は、11番の魅力の一つであろう。1楽章や3楽章などの緩徐楽章でも、深みある演奏を表している。各楽章の解説をする必要があるのか?あるまいよ。それでも1楽章は透明感があり、標題音楽的魅力に満ちている。深く、暗く重苦しい雰囲気を作り出している。3楽章の葬送行進曲も実に重苦しい足取りで、怒りが爆発するような強奏部には息をのむ。そして終楽章は、極めてドラマチック。グラモフォンの優秀録音もあり、警鐘は低く暗く、ぐわんぐわんと響き渡り、銅鑼、大太鼓ともに見事な音色を聴かせる。まるで一つの巨大な物語を体験したかのようなカタルシスと共に曲は閉じる。最後に個人的なことを言えば、この録音こそ、私がショスタコーヴィチに傾倒する契機となったものである。高校2年生の頃、当時、私が所属していた吹奏楽部の指揮者が、この曲の編曲楽譜を探していた。そして部長だった私は探し回ったわけだが、その間、どういう曲なのだろうと思い、たまたまヤルヴィ盤を手にしたのだった。町田のジョルナの地下1階、Taharaというレコード屋である。他のレビュー欄でも書かせてもらった通り、Taharaは我が青春のレコード屋であり、町田・相模大野・本厚木と、中学・高校の思い出と共に胸に深く沈めるものである。そして、町田のTaharaにて当盤を手にし、今でもよく覚えているが、自室の安いAiwaのプレーヤーに掛けて、驚愕した。圧倒された。「これこそ僕が求めていた音楽なのだ」と確信した。そして僕は…、ショスタコーヴィチとヤルヴィの熱烈な崇拝者となったのである。

ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1957.11.03/Live Russian DISC

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考えうる限り史上最強。究極の11番と言っていいだろう。これ以上の演奏は存在しない。ムラヴィンスキーの振るショスタコーヴィチはやはり格別だと思い知らされる。何という高密度。全ての音に意味があり、ドラマがある。初めてこの録音を聴いたとき、思わず涙が出そうになった。痛ましいまでに感動的。演奏内容については、言葉ではなかなか表現できないのであえて書かないことにする。ムラヴィンスキーのショスタコを聴いてしまうと、他の演奏とは一線を画していることがわかる。これはほとんど、ずるいと言ってもいいぐらいで、このウェブサイトのようにムラヴィンスキーと他の指揮者の演奏を一列に並べようなどという考えは、そもそも間違っているのかも知れない…。それにしてもこの録音の悪さ、モノクロの戦争ドキュメンタリーか何かを見ているような感じでかなりリアルな臨場感がある。怖い…。ここまでの恐怖を感じさせる演奏は他にあるまい。11番に限らずとも。やはりムラヴィンスキーは格が違う。なお、私が当ディスクを初めて聴いたのは一柳先生による一連のショスタコーヴィチ講座の中でのこと。レクチャーを受けながら聴いたのだが、2楽章の虐殺場面はまさに身が震えたものです。

ロストロポーヴィチ指揮 ナショナル交響楽団

1992.10-11 TELDEC

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ロストロポーヴィチの11番に関しては、私はずっとここにレビューを書くことを避けてきた。なぜなら、その演奏があまりに重いからだ。彼の全集を聴けばわかるが、ロストロポーヴィチのアプローチは極めて深刻である。どろどろしていて、深く感情を抉られるような不安に満ちている。まったくもってヤルヴィとは正反対の演奏で、そうかと言えばこのテンポの遅さがロジェヴェンに近いかというとそれも違う。ロジェヴェンの11番はひと言で言うならば「狂気」だが、ロストロポーヴィチの場合は、より主観的な苦しみや悲しみが込められているように思う。CDから出てくる音の組み合わせを聴いて「何をそんなに大げさな」と思われるかもしれない。いや、だが違うのだ。ぜひ味わってほしい。このロストロの演奏を、濃密な世界観を。1楽章の、この暗さをどう表現しよう。重苦しいティンパニの音色を。どんどんテンポを落としていく2楽章の虐殺はどうだ。虐殺場面でさえ、「そう簡単には逃がすまい!」とばかりに、「ロストロポーヴィチの手」とでも言うべきものが上空からにゅっと現れて捕まえられる感じ。つまり、我々が想像できるその他の演奏が単なる情景描写に過ぎなかったと思わせるほどの、運命的なサウンドがある。3楽章で見られる、一寸の希望の光の何と美しいこと。そして「悪のテーマ」たる打楽器の不気味なこと。当ウェブサイトで挙げた11番のベスト3にはそれぞれの魅力があって、ヤルヴィがその疾走感とひたすらカッコイイオーケストレーションを鳴らしきる業にあれば、ムラヴィンスキーはまるで記録映画のような残酷極まりない客観性に、そしてロストロポーヴィチは個人的な情念にその音楽を手繰り寄せた「世界のかたち」とでも言うべき生々しさにある。楽譜の改変とまではいかなくとも、半ば強引にテンポを変えてみたり、最後の鐘を止めずに余韻を残したりと、他の指揮者ではあまり見られないこともあるが、それもこの完成された世界観ゆえに説得力がある。私の個人的な体験で言えば、やはり私自身が演奏する立場となったことで、これまでに聴こえなかった様々な音が聴こえてきた。これはロストロポーヴィチの11番に近付く体験であった。

ロジェストヴェンスキー指揮 ソビエト国立文化省交響楽団

1983 BMG

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遅いー!遅すぎる!2楽章のいわゆる「殺戮シーン」は史上最遅。しかしそれゆえにものすごく残酷で凶悪!地獄絵図という言葉がまさに相応しい。この曲で最も重要なスネアは、ヤルヴィ盤やムラヴィンスキー盤のような「マシンガン・スネア」ではなく、言わば「ショットガン・スネア」。ショット・ガンを連続で撃ち込まれるような決定的な破壊力。やはりスナッピはゆるいのだが、ここまで叩き込めばヘッドの打撃音が強烈で、スナッピのじゃらじゃらはむしろ雰囲気たっぷりの余韻を作り出している。大太鼓はバズーカ砲、シンバルと銅鑼は血と肉片が飛び散る様。木琴と木管高音は人々の断末魔の絶叫。ティンパニは死体を踏み付けてなお迫り来る巨大な軍靴の音。音楽における残酷ホラー。エイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』のショスタコ版で、この曲が虐殺シーンに使われていたが(※別の音源です)、まさにこの演奏は映像の手伝いがなくとも凄惨な場面をイメージさせる。金管のぶりぶり具合も全集中最高。なお、2楽章こそ極端に遅いものの、その他の楽章はむしろ速い。4楽章は快速なテンポで始まる。ラッパの音程が異様に悪いが、これはもしかしたら確信犯?絶妙な雰囲気を醸し出しているのは確かだ。また、スネアが勢い余ってリム・ショットしてしまうところなどは、思わず微笑んでしまう。4楽章中間で、しばし希望を感じさせられる曲想が現われるはずだが、ロジェヴェンにはそんなものは通用しない。どこまでも残酷無比である。ラストの警鐘にあっては、安っぽい鐘、響きの枯れた木琴、再び襲い来るショットガン・スネアと、「警鐘」どころかトドメをさされたという感じだ。警鐘なんて鳴らしている場合ではなく、すでに街は焼け野原。この11番は、続編の12番に続くことなく、破壊的終末を迎える。

ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1959.02.02 Victor

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ムラヴィンスキーの2種の録音のうち、新しい方。相変わらず音質は悪いが、張り詰めた雰囲気や説得力はムラヴィンスキーならでは。全体的に速めのテンポで、暴力的に突き進む。録音が悪いせいか、時折妙に音が遠くなったり、録音に拾えていないのだろうと思われる部分があったりする。それゆえに、この演奏の真価はわからないのだが、おそらくとてつもなく凄絶なものであったろうと思われる。惜しい。超リマスタ技術開発を待ちたい。

プレトニョフ指揮 ロシア・ナショナル管弦楽団

2005.02.14/Live Penta Tone

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プレトニョフが…!素晴らしい演奏だ!ピアニストとしてはよくわからないが、指揮者としてはこれまでの録音を聴く限りでは、私はあまり興味を抱かないタイプの演奏であった。最近オケのメンバーが入れ替わったのか、それともライヴ(あ、バレンタインデーだ)録音だからなのか、これまでの印象を覆す情熱的な演奏になっている。これはもう、今までの不敬罪をお許しくださいと請うばかりである。たいこ屋の私としては、この曲はまさにスネア中心に聴くことになってしまうのだが、ロシア・ナショナル管のスネアの素晴らしいこと(奏者はわからないが、このCDの発売時にいくつか同オケの録音が出たが、同じ奏者であるならば、その演奏の燃焼度は間違いないだろうから、早速注文してみよう)。音色も素晴らしい。これはエーテボリ響に次ぐスネアだ。一方でティンパニは平気でズレたりしているので、心意気は買うがちょっと不安定。演奏そのものは結構散漫な感じで、途中で何となく飽きてしまうようなメリハリのなさ、緊張感のなさがマイナスポイント。当然、曲の持つ凶悪で残虐な恐怖感はロシア巨匠勢には及ばない。いや、しかし、それでもたこさん5個を付けてしまうのはスネアの健闘と、テンポ感が良くて力を抜いて聴けるところか。さらにはSACDなので、録音が素晴らしい。ボリュームをぐんと上げて聴きたい一枚である。

コンドラシン指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

1973 BMG

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オーソドックスな解釈による。録音のせいか音が薄いのが気になる。大太鼓や低減などがいまいち響いてこないのが残念。こうしたタイプの演奏ならば、ハイティンク盤の方が録音の良さもあって聴きやすいはずだ。しかし、4楽章などの鬼気迫る迫力はさすがにコンドラシンならでは。

北原幸夫指揮 NHK交響楽団

1992.03.25/Live KOCH SCHWANN

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北原先生のショスタコ。まるで芸能人のようなルックス(北原先生は遠目にも高貴なオーラを発しているのが見える)からは想像もできない激しい一枚。速いところは危ういアンサンブルと細い響きで、キンキンと頭が痛くなるような凄惨な演奏になっている。「虐殺」はヤルヴィ級のテンポで突き進む。こんなにドキドキする演奏は初めてだ!スネアは高めのピッチでカツカツと鳴らし、ロジェヴェンとはまた違ったタイプの暴力的な演奏。いや、ほんとすごい。1992年に日本の指揮者とオーケストラでこのような演奏があったことは感慨深い。北原先生の振るショスタコーヴィチはいくつかの録音で聴くことができる。また、個人的には何度か奏者としてショスタコーヴィチの演奏にも参加させてもらったが、ショスタコーヴィチのサウンド、音響への並々ならぬ思いを感じた。…しかし、このN響はとんでもなく銅鑼がでかいのう。これは、いわゆる「やりすぎ」というやつではないか。N響にもこういうことってあるんだ…。

ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

1983 DECCA

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ハイティンクにとって革命歌の引用には、余計な感情を挟む余地はあるまい。革命を讃える交響曲に仕上げるわけがなく、純器楽的なアプローチを見せる。それがハイティンクのショスタコの魅力でもある。透徹感さえある冷ややかな雰囲気は、スコアから自然に放たれるものなのだろう。オーソドックスなテンポによる録音の中では、まずはこのハイティンク盤が秀逸である。DECCAの録音も非常に素晴らしい。いつもながらハイティンクは真面目な演奏である。決して感情的にならず、全ての楽器をバランス良く鳴らし、一つの交響曲の在り様を示してくれる。聴きどころは4楽章で、はっきりとした鋭い音でぐいぐいと突き進む。

ロストロポーヴィチ指揮 ロンドン交響楽団

2002.03.21-22/Live LSO

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ナショナル交響楽団とのスタジオ録音盤との比較ということになると、どうしても分が悪い。ナショナル盤の魅力を「生々しい世界観」と書いたが、それはあの重苦しさがあってこそのもの。ロンドン響盤には、あそこまでの粘着質なサウンドがない。ナショナル響とロンドン響を並べれば、ロンドン響の方が充実していそうなものを、一歩敵わないのである。金管がパリッと鳴りすぎるのかなぁ…。しかし、ロストロ節が健在であることも強く言っておこう。虐殺の重いテンポはさらに強調されており、アラルガンドの強烈なことこの上ない(ここまでくると不自然に聴こえる)。ところで、この11番に始まったLSO自主制作盤のショスタコ・シリーズは5番、8番と続き、ANDANTEからは4番、15番と出たので「もしやロンドン響によるロストロ新全集か!?」と期待していたのだが、叶わぬ夢となってしまった。

シュウォーツ指揮 シアトル交響楽団

1995.06.05-06 KOCH SCHWANN

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意外なところで名演発見。スネアの音色が特徴的で、スネアというよりはテナー、あるいはフィールド・ドラムといった感じ。2楽章のソロではそれが違和感があってどうにも馴染めないが、4楽章は実に見事にはまっている。全体を通しても4楽章が素晴らしく、特にラストの辺りはゾッとするほど盛り上がる。テンポは終始ほとんど揺れず、機械的な印象も受けるがそれが恐怖度を促進させ、何とも凄惨、残酷な雰囲気を作り出している。

ジョルダニア指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

1999.07.05 Angelok1

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ロイヤル・フィルがいつになくロイヤルじゃない音を出している。秀逸なのはその音色で、どこか暗くて緊張感のある響きはショスタコーヴィチらしい。それでいて、強奏部になるとRPOの超優秀な金管軍団がバリバリと攻めてくるわけです。特に4楽章は引き締まったサウンドが素晴らしい。さすがにアンサンブルも良い。ジョルダニアという指揮者はあまり知らなかったが、他にもショスタコーヴィチをいくつか録音しているので聴いてみたいと思う。

キタエンコ指揮 ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

2004.02/Live CAPRICCIO

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キタエンコの全集中でもかなり充実した演奏に思われる。透き通った弦の響きも美しいし、骨太な金管低音も相変わらず力強い迫力。2楽章の描写も大変ドラマチックで、アッチェルしながら虐殺に突入する様子にはニヤリとさせられたりもする。4楽章は最も素晴らしく、冒頭部から尋常ではない意気込みを感じる。テンポも安定しているし、録音は文句がないし、これはかなり優れたCDに違いないのだが、あと一歩、スネアに主張がほしい。ショスタコーヴィチのスネアにはかなり特別な役割が与えられていると考えるが、伴奏に徹した当盤の演奏は、その打ち込みの甘さと、ほんのわずかなところでのテンポの甘さがある。なお、その他の打楽器もいずれもキタエンコらしい伴奏職人的な傾向があるものの、銅鑼の響きなどは格別の美しさ。ティンパニも打撃音を強調し余韻を短めに切る部分などあるが、それでも録音の深みがそれを不自然なものにしていない。ラストの鐘も、幻想の鐘のような大きくて重い鐘の音色。ロジェヴェンのようにカンカンと耳に痛い音でもなければ、チューブラーベルのような優しい音でもない。オーケストラが消えたあとも鐘の余韻のみ残しているが、こうした俗っぽい効果も当盤では違和感なく聴ける。

ケーゲル指揮 ライプツィヒ放送交響楽団

1958.04.24/Live WEITBLICK

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期待のケーゲル選集より11番。録音日に注目。ラフリンの初演から約半年後のライヴである。ケーゲルってショスタコ好きだったんだ、と何だかちょっと嬉しい気分になってしまいますね。録音状態は良好。若干気になる部分はあるにせよ、ムラヴィンスキーのライヴ盤に比べれば遥かに良い。演奏内容も充実している。デジタル時代の11番にはない切羽詰ったどうしようもない緊張感がある。こうした雰囲気は非常に大事だと思う。テンポも速めで、その焦燥感のようなものに拍車を掛けている。いつもながら弦楽器のものすごい弾き込みに圧倒される。また、木管楽器の脳天を直撃する高音が、ある種の人間には非常に心地良いはずだ。ライヴ一発録りであるが、完成度は高い。細かなミスはあるものの、ほとんど気にならない。気になると言えば、多少スコアをいじっているところか。ケーゲルはこの11番に限らず、選集を聴いた限りではちょこちょこと楽器編成を変えている。打楽器を付け加えている例では、5番の終楽章コーダで鐘が鳴るのが面白かった。音程の悪い鐘が(まあ鐘とはそういうものだが)、ゴンゴンとティンパニ・ソロに被っていた。11番では打楽器ならばサスペンデッド・シンバルを何カ所かに加えているのが目立った。思わぬところで聴き慣れない音が混ざっているというのも変な感じだ。これはやはり慣れないと思う。

ラザレフ指揮 スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

2004.01.22-23 LINN

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ラザレフはもっと評価を得てもいいはずの指揮者である。しばしば来日してすんごい演奏を披露しているし、決してマイナーというわけではないが、正当な評価は得ていないように感じる。ボリショイ時代のラザレフの演奏はロジェヴェン並みに豪快、コンドラシン並みに切れ味があった。何せ、ムラヴィンスキーがレニングラード・フィルの後任に推薦した男である。私は幸運にもかつてTV録画したリムスキー=コルサコフの歌劇『ムラーダ』(ボリショイ劇場)の映像が手元にあるが、素晴らしいコントロールの超名演である。そのラザレフがついにスコティッシュ管と録音したショスタコーヴィチ。決して鈍重にならない深い鳴りと、一方で随所に聴かせる鋭い響きが素晴らしい。2003年に日フィルを同曲で振っているが、解釈はそのときとほとんど同じ。オケの性能が違う分、また手兵を率いてのスタジオ録音である分、当盤の方が細部まで丁寧に繊細に仕上げられている。2、4楽章での燃焼度も高く、ラザレフがこの曲をショスタコーヴィチの中でも特に重要視している様子が伺える。録音も良い。そして、すごいのは演奏だけではない。見よ、このジャケットのセンス。素晴らしいではないか。白黒写真を後から彩色する、この独特の雰囲気。昔の映画のポスターみたいな味があるし、パルプ的な安っぽさが実に良い。それから、曲名表記の必要があるので、無機質なデザインになりがちな裏面。この大胆な構成。脱帽である。ラザレフのこのポーズは何なんだ(指揮をしているところの写真ではない)。左手をかざし、うつろな目つき。マジシャンか教祖か。胡散臭いことこのうえない。指揮者の写真をジャケットに配したものは数あれど、ここまで超越したものもあるまい。胡散臭いジャケット大歓迎である。